して、憲法が効力を発生する日になって一向さしつかえないと思われる。そうだったら、どんな人も決して新憲法の働き出した記念日を忘れることはないだろう。しかし、政府は、それをいやに思った。はっきり新聞で、人民のよろこびの日と、憲法が働き出す日とは同じであることを拒んだ。人々は、このことをも忘れないであろう。こういう政府の感情というものは実に雄弁に、今日の政府が民主的なすべての行為に対して抱いているこころもちを語っている、はらのなかから、本当に新しい日本の建設に歓喜したりしていない、ということをはっきり語っているのである。
放送の国家管理という不手際で高びしゃなやりかたや、新聞のゼネストをこわすために暴力をふるったことなどは、目にまざまざと見える「五月一日ぎらい」のあらわれである。
文化の面にも同じ気分が支配していて、学生の政治行動を禁じている。今日の学生は、窮屈な資金の枠内で、すべての市民と同じ食糧難、書籍難、交通難に苦しんでいる。どっさりの勤労経験を与えられた学生、復員学生がある。生死を賭して、若い命を最も真面目な経験にさらして帰った学生はおびただしい。これらの青年が、自分たちの経験か
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