四年の間にはいろいろ動揺して、召還主義の連中とカプリの労働学校を創立したり、創神派の弁護者としてレーニンに彼らとの妥協を求めたりしたことは、我々の注目をひきつける。この時代ゴーリキイは、ロシアを離れていたことからも一九〇五年後の民衆の成長のテムポと方向とを十分掴めなかったと同時に、今日の目で観察すれば、彼は或る意味で「私はそれを知っている」と確信をもって云い得るものが陥り易い一つの誤りに陥っていたことが理解される。ゴーリキイが、ロシアの民衆を最もよく知っているのは自分であると思っていたことは自然なことであろう。彼は一九〇五年の失敗を、大衆が十分組織をもっていなかったからであると知らず、外部からの力の不足を認識するにつれ、民衆は民衆の中の独自な力、神によって解放され得ると希望を求めたのであった。ゴーリキイの素朴な的をはずれたこの心痛を、創神派の連中は利用した。彼等のインテリゲンツィア的理論づけ、組立ての外観が、当時に於て一過渡期にいたマクシム・ゴーリキイを一時|搦《から》め込んだのである。四十歳になり、世界の作家ゴーリキイになっていた彼は、この時、二十代の生一本さを失っていたとともに、知
前へ 次へ
全35ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング