声とがまざまざと結びついて生きていて、その思い出はゴーリキイという一人の大きい作家の生涯の過程を私に会得させるために、驚くほど微妙な作用を残しているのである。
ソヴェト同盟の文学史において、マクシム・ゴーリキイは、たとえて見れば最後の行までぴっちりと書きつめられ、ピリオドのうたれている大きい本の一頁のような存在である。私たちは、自分たちの頁の数行をやっと書いたに過ぎない。ゴーリキイの生き方、作家的経験から若い時代の汲みとるべき教訓は実に多いと思われる。今日までに刊行されているゴーリキイの作品の全集や、最近の文化・文学運動に対する感想集等の外に、今後はおそらく周密に集められた書簡集、日記等も発表され、ますます多くの人にゴーリキイ研究の材料と興味とを与えることであろう。
ゴーリキイは、全く新しい歴史的内容において世界的な意義をもつ大作家にまで完成した一典型である。ゲーテを従来の理解に従って天才者の一典型と見るそれとは本質的に異った意味で、人類の歴史が現段階に於て出現させた大才能の社会的完成の注目すべき一典型なのである。下層階級出身のゴーリキイが、そこに到るまでの道ゆきに於て、顕著な特色の一つが、今私の探求心を刺戟している。それは、ロシアのそれぞれの時代の社会的背景の前に鮮かに記録されているゴーリキイと、当時のインテリゲンツィアとの相互関係の消長である。
マクシム・ゴーリキイが五つで父に死なれて後、引取られて育った祖父の家の生活は、無知と野蛮と、家長の専制とで、恐るべく苦しいものであった。農奴解放は行われたが、その頃のニージュニ・ノヴゴロドの下層小市民の日常生活の中心では、まだ子供を樺の枝でひっぱたくことはあたり前のことと考えられていたし、大人たちが財産争いから酔っ払って血みどろの掴み合いをしたりすることはザラであった。小さいゴーリキイの心臓はそういう暗さ、残酷さ、絶え間なく投げ交されている悪口などによってその皮をひんむかれるように感じていたのであったが、その貧と喧騒との中で、彼は一人の風変りな男となじみになった。祖父の家の台所の隣りに、長い、二つの窓のついた部屋があった。一人の痩せた猫背の男で、善良そうな目をもち、眼鏡をかけた下宿人が暮していた。何か祖母から云われる度にその男は、「結構です」と挨拶するので、「結構さん」というあだ名がついていた。小さいゴーリキイは、
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