は後年この時代のことを、次のように書いている。「私は赤熱された石炭の中に入れられた鉄の一片としての自分を感じた」「そこでは私の前に裸にされた貪欲な人々、粗暴な本能の人々が渦巻いていた」と。
もとは師範学校の学生で職業的な泥棒であり、ひどい肺病になっているバシュキンは新顔のゴーリキイに向って雄弁に吹き込んだ。
「何だい、お前は。まるで娘っ子みたいにちいさくなってさ。それとも礼儀を無くしたくないんか? 娘っ子にとっちゃ礼儀が全財産さ、だがお前にとっちゃ、それは軛だ。牛には礼儀がある。それっていうのも、奴は満腹しているからさ!」
彼等が極端な無一物でありながら、飢えと悲しみとの境遇の中で愚痴を云わず自分たちの拘束されない生きかたを愛していること、又、この人生に対して露骨な辛辣さを抱きそれを表明していること。それらがゴーリキイの心に好奇心を動かし、同情を惹きおこした。彼等の生活はゴーリキイがこれまでこき使われ、愚弄されて来た小商人達、小市民連のこせついた独善的な日暮しとは全く別なものであった。彼等は自分達の全生活でもって、ゴーリキイ自身が嘔気を催す程厭悪している。生ぬるい、厚顔な町人根性に
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