ウクライナ人の蔑称)の家が火事だ! 焼けちまうぞ!」
「奴等を村から追っ払え!」
 小さい、赤毛の百姓が、片手に斧をもって窓から小屋へ入りこもうと藻がいている。薪を手に持ったまま、平静至極にロマーシがその赤毛の百姓に訊いた。
「お前何処へ行く?」
「消しに行くんだよ、とっさん!」
「どこも焼けてやしないよ」
 それから、ロマーシは店の入口へ行って、細工のされた薪を群集に示しながら云った。
「お前たちの中の誰かがこの棒へ火薬をつめて、それを俺達の煖炉の中へ突込んだんだ。だが火薬が少ないんで、害はなかった」
「私の大学」に、ゴーリキイは、卓抜な洞察をもって描写している。「人々はあたかも何物かを惜むように、ゆっくりと、いやいやに散って行った」と。「戦争だ!」とパンコフがやって来て、こわされた煖炉を見て呻ったのは真実であった。果樹園所有者組合の組織に成功しはじめたロマーシに対する「戦争」は、もとより村の富農から挑まれた。富農に買われる酔いどれの悪党としてはあつらえむきの兵士コスチンがある。
 七月半ばロマーシがカザンへ行った留守に、イゾートが殺された。ゴーリキイの心を魅していたヴォルガの漁師は、頭をうしろから破《わ》られ、ボートの底に穴をあけられて、死んだ。水に洗われているイゾートの死体を見下す崖の上に「陰鬱に、緊張して、二十人ばかりの富農が立っていた。貧農たちはまだ耕地から帰って来ていなかったのである。」その間を「狡そうで臆病な村長が、杖をふりながら動きまわり」読むような調子で、
「ああ、何という乱暴だ! おい、百姓たち、いけないねえ!」
と云っている、それらの姿は、「私の大学」中最も読者の心に深く刻み込まれる描写の一つである。
 署長が村へ呼ばれた。署長は富農の家へとまった。そして、イゾートの死体の発見された夕刻、群集の中で一人の商人を殴ったククーシュキンを、穴蔵へ入れるように命じた。それぎりであった。村は、自身の犯罪を深く呑みこんだ。
 ひと月たたない或る朝、店の倉庫代用につかわれていた納屋から火が出た。そこには、石油、タール、バタ等の商品が入れてあった。ゴーリキイが、火をくぐって納屋へとび込みタールの樽をころがし出し、石油の桶へ手をかけたら――樽の栓はあいていた。そして、地面に石油が流れている。火事は四つの小屋を焼いた。ロマーシとゴーリキイとは百姓達を指揮して消火に奮闘した。ロマーシの命令は「おとなしく聞かれたが、彼等はまるで、他人の仕事をするように、恐る恐る、何だか絶望的に働く」のであった。往還の末に、村長と村の商人を先頭とする金持の塊が認められた。彼等は見物人のように何もせずに立って、手や棒を振りながら叫んでいる。
「火つけだ!」
 金持連の中から悪意ある叫びが聞こえた。
 商人が云った。
「奴の風呂場に気をつけなけりゃいけねえ」
 十軒ほどの家をやいて火事が一応消し止められると、十人ばかりの金持が、二人の百人長にロマーシの手をとらせ、村長を先に立てて、谷の方にあるロマーシの風呂場へ行った。
「風呂場をあけろ!」
「錠をこわせ――鍵はない」
 ロマーシは、棒をもって駈けつけて来たゴーリキイに云った。
「奴等は俺が風呂場へ商品を隠して自分で店に火をつけたんだと云うんだ」
「お前えら二人がよ!」
「壊せ!」
「正教徒が……」
「責任は負う!」
「俺達の責……」
 ロマーシは囁いた。
「俺の背を合わせて立って呉れ! 後から殴られないように……」
 風呂場は、勿論空なのであった。
「何んもない!」
「何も?」
「ああ、畜生!」
「よせばいいのに、百姓達は――」
 いくつかの声がそれに答えて、劇しく酔いどれのように、
「何が――よせばいいのにだ?」
「火にくべろ!」
「謀反人《むほんにん》……」
「組合をたくらんでやがる!」
「黙れ!」
 大声でロマーシが叫んだ。
「どうだ。風呂場に商品のかくされていないことは見ただろう。それ以上、何が必要なんだ? 何も彼も焼けてしまった。残ったのは、それ、この通りだ。自分の財産に火をつけて何になるんだ!」
「保険がついているんだ!」
「奴等を眺めていてどうするんだ?」
 見知らぬ、小さい、跛の百姓が、聞えるように踊りながら、劇しく金切声をあげた。
「煉瓦で奴等をやっちまえ! 遠慮するな!」
 その百姓は実際に煉瓦をとって、手を振って、それをゴーリキイの腹へ投げつけた。パンコフ、ククーシュキンそのほか十人ばかりの者が駆けつけたとき、商人クジミンは勿体らしく云い出した。
「ミハイロ・アントーノフ。お前は賢い男だから、火事が百姓を気狂いにする位のことは、分っているだろう……」

 ロマーシは、焼けのこったものを皆パンコフが新しく出そうとしている店へ売り、ヴャートカへ行くことに決した。
「そして、幾日か経
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