る。――
ところが、カザンへ着いてゴーリキイがそこに見出したのは大学への道ではなくて、早速の飢餓であった。善良なエフレイノフと更に勉強だけに没頭している弟とには、貧しい恩給暮しの母親が、どんなからくりをして、息子二人と、どこの誰ともはっきりしない体の大きい、粗野な若者を食わしているのか一向に分らない。が、ゴーリキイは最初の日から母親の面している困難を一目で見透した。ゴーリキイには、この母親がどんなに気を張り智慧をしぼってその日その日三人の健康な若者の胃をなだめているかということがわかり「一片のパンさえも石となって」彼の心にのしかかるのを感じる。
昼食をしないために朝から家を出た。天気の悪い日には、焼跡の原に向った一つの廃墟の広大な地下室の中に坐っていた。そこでは野良犬や野良猫が生きて、死んでゆき、それらの犬猫の死骸の臭いが、雨や風の音の下で漂っている。
飢えないためにゴーリキイはヴォルガへ、波止場へ出かけて行った。独特な「私の大学」時代が始まった。波止場で十五|哥《カペイキ》、二十|哥《カペイキ》を稼ぐことは容易であった。そこで、荷揚人足、浮浪人、泥棒の間に自分を置き、ゴーリキイは後年この時代のことを、次のように書いている。「私は赤熱された石炭の中に入れられた鉄の一片としての自分を感じた」「そこでは私の前に裸にされた貪欲な人々、粗暴な本能の人々が渦巻いていた」と。
もとは師範学校の学生で職業的な泥棒であり、ひどい肺病になっているバシュキンは新顔のゴーリキイに向って雄弁に吹き込んだ。
「何だい、お前は。まるで娘っ子みたいにちいさくなってさ。それとも礼儀を無くしたくないんか? 娘っ子にとっちゃ礼儀が全財産さ、だがお前にとっちゃ、それは軛だ。牛には礼儀がある。それっていうのも、奴は満腹しているからさ!」
彼等が極端な無一物でありながら、飢えと悲しみとの境遇の中で愚痴を云わず自分たちの拘束されない生きかたを愛していること、又、この人生に対して露骨な辛辣さを抱きそれを表明していること。それらがゴーリキイの心に好奇心を動かし、同情を惹きおこした。彼等の生活はゴーリキイがこれまでこき使われ、愚弄されて来た小商人達、小市民連のこせついた独善的な日暮しとは全く別なものであった。彼等は自分達の全生活でもって、ゴーリキイ自身が嘔気を催す程厭悪している。生ぬるい、厚顔な町人根性に
前へ
次へ
全63ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング