歩前進の姿であるからである。窮極に於て箇性はいかなる過程によって完成されるものであるかという歴史的事実[#「事実」に傍点]を語る高貴な人間記録であるからなのである。
幼年時代
マクシム・ゴーリキイは、一八六八年(明治元年)三月二十八日、ロシアでは最も古くから発達した中部商業都市の一つであるニージニ・ノヴゴロド市に生れた。本名は、アレクセイ・マクシモヴィッチ・ペシコフと云った。父親はマクシム・ペシコフ。母の名はワルワーラと呼ばれ、彼は二人の長男として生れたのであった。若い、しっかりした指物師であった父親のマクシムはゴーリキイが五つの時ヴォルガ河を通っている汽船の中でコレラで死んだ。この若い父も当時のロシアの社会に生きる勝気な青年らしい短い物語をもった人であった。
マクシムの父親というのは陸軍将校であったが、或る時その部下を虐待した廉でシベリヤに流されたという男である。その時分のロシア軍隊生活と云えば有名なひどいものであったにもかかわらず、その中で部下に対する虐待を問題とされ、処分されたということは、この将校の惨酷が一通りのものでなかったことを想像させる。息子であるマクシムは、家庭における父親の悪い性質の目標とされた。彼は堪え切れず十七歳になる迄に五度も家出をし、最後に、そして永久に父の家を見捨てることに成功した時には、ニージニの町へ落付いた。二十歳の時、もうマクシムは一人前の指物師、壁紙貼職人であった。彼が働いている仕事場は偶然、ニージニの職人組合の長老、染物工場主カシーリンの隣りである。
或る夏のことであった。カシーリンの妻アクリーナが娘のワルワーラと一緒に庭で何心なく夷苺《のいちご》をとっていると、隣家との境の塀をやすやすのり踰えて一人の逞しい立派な若者がこっちの庭へ入って来た。見ると、髪を皮紐でしばった仕事姿のマクシムである。アクリーナが、おどろきながらも天性の温かい調子で訊いた。
「どうしたね、若い衆、道でもないところから来てよ!」
するとマクシムはアクリーナの前に跪いて云った。
「アクリーナ・イワーノウナ。俺達を助けて下さい。俺達は結婚したいんだ」
ワルワーラはと見れば、自分の手にある籠の夷苺のように体じゅう真赤にして、庭の林檎の樹蔭にかくれながら、マクシムに何か合図しながら、眼には涙があふれそうになっている。
「私たちはもう、
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