シャは出目を突出して、云うのであった。
「祖父さんの云ったことを忘れちゃ駄目だよ」
従兄サーシャの上にもう一人番頭がいるという程度のその靴店で、ゴーリキイの仕事というのは、毎朝サーシャより一時間早く起きて、先ず主人達、番頭、サーシャの靴を磨く。皆の服にブラッシをかけ、サモワールを沸かし、家じゅうの煖炉に薪を運んでおいて、食卓用の薬味入れを磨く。これだけが家での用事であった。店では床磨き、掃除、お茶の用意、お得意への品物配達、昼飯を家から運んで来ること。これらの仕事が、玄関番の役の上に加るのであった。主人はずんぐりな、眼の小汚い男で、よくゴーリキイをたしなめた。
「ほら、また腕なんか掻いてる! お前は町の目抜の商店に勤めてるんだ。これを忘れちゃいけねえ。小僧ってものは扉口んところへ木偶《でく》のようにじっと立っているもんだ」
凝っと立っていることが、活々した子供のゴーリキイにはなかなか出来ない。しかも両腕は肱の辺までべた一面痣やかさぶた[#「かさぶた」に傍点]で、掻くなと云われても、掻かずにはいられないのであった。主人が、新参小僧であるゴーリキイの両手を視ながら訊く。
「お前は家で何をしていた?」
ゴーリキイは、あった通りのことを云った。
「屑拾い――そいつは乞食よりよくない。泥棒よりよくねえ」
「――泥棒もやったよ!」
主人は猫のように両手を帳場の上へ置いてびっくりした。そして、声を変え、
「なんだ? 泥棒もやった? 何を? どんな風に?」
薄板をかっぱらうことについてゴーリキイは説明する。
「いや、それっくらいのことは取立てて云う程のこっちゃねえ。が、この店で[#「この店で」に傍点]靴や金を盗みでもしようものなら、よしか、お前を監獄へ叩き込んで、大人になる迄出られねえようにしてやる!」
ゴーリキイは、一層主人がいやになった。玄関番をして立ちながら、観察する商売の作法も彼の性に合わなかった。番頭は婦人客の前へ跪き、妙な恰好に指をひろげて靴の寸法を計る。婦人客の足にさわる時は、まるで、今にもその足がこわれるかと思うように大切に扱う。ところが「その女の足ときたら――太くてまるで撫で肩の徳利を逆にしたようだ。」
時によると、女客が仰山な声で、
「あら、いやだ。擽ったいわ!」
などと叫んだ。
「どう致しまして! これは……その、丁重に致しましたんで……」
或
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