人たちは、学生を打ちに大学へ押しかけようとしているところであった。
「おお、分銅でやっつけるんだ!」
 彼等は嬉しそうな悪意で云った。たまらなくなって、ゴーリキイは彼等と論判をはじめた。が、結局自分に学生を護り得るどんな力があるというのであろうか。ゴーリキイの全心を哀傷がかんだ。自分がどこへ行っても、誰にとっても必要のない存在であるという考えが、病的に彼を捕虜にした。夜、カバン河の岸に坐り、暗い水の中へ石を投げながら、三つの言葉で、それを無限に繰返しながら彼は思い沈んだ。
「俺は、どうしたら、いいんだ?」
 哀傷からゴーリキイはヴァイオリンの稽古を思い立った。劇場のオーケストラの下っぱヴァイオリンを弾いていたその先生は、パン店の帳場から金を盗み出してポケットへ入れようとしているところを、ゴーリキイに発見された。彼は唇をふるわし、色のない目から油のように大きい涙をこぼしながら、ゴーリキイに訴えた。
「さあ、俺を打ってくれ」
 二六時中彼を不愉快にいら立たせるところのすべてに反抗したい希望が、静かに執拗につきまとった。空虚への反感が喉をつまらせるのであった。
 この堪え難かった年の十二月の或る晩、ゴーリキイは雪の積ったヴォルガ河の崖によりかかりピストルを自分の胸にあてて、発射した。弾丸が肋骨に当ってそれた。彼は生きた。
 我々読者に今日無限の示唆を与えるのは、ゴーリキイほどの強靭な天質と生活力とを持つ者でさえも、歴史の或る時期には自殺をしようとしたという一事実を踰えて、更に、人及び芸術家としてのゴーリキイが、自分のこの記念的経験をちゃんと短いながら一つの作品「マカールの生涯の一事件」になし得たのは、二十五年の後、『プラウダ』に参加するようになった一九一二年のことであるという事実である。「マカールの生涯の一事件」の結末に於て、ゴーリキイは「病んだ心臓の奥底から」「春の最初の花のような」人生への希望が甦って来たこと、決して「どっちにしろ同じ[#「どっちにしろ同じ」に傍点]」じゃない[#「じゃない」に傍点]ということを、全身に感じたこと、最後に、パン焼職人の荒々しい手を確り握って笑いながら、涕泣しながら、このマカールと仮の名をつけられた逞しい、だが小路へ迷い込んだ民衆の一人が「長い剛情な人生の上に本復したことを感じた」美しい瞬間を、脈うつ歓喜の調子で描いているのである。
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