第十六回党大会は終った。五ヵ年計画第三年目の新経済年度が近づいた。ソヴェトのプロレタリア作家団体と一般労働大衆との間には、これまでにない親和感が生じ、一層精力的な交渉が開始された。
 党大会で、「ラップ」からの代表の一人ベズィメンスキーは、長い詩の形で行った報告の中で読んだ。
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我々は持っていない
卓越したプランを
ウン。別なプランは
無いんだ。
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 つまり、ソヴェト五ヵ年計画の生産経済計画《プロフィンプラン》が「ラップ」の作家にとっても最も基本的な階級的プランだというわけだ。
「ラップ」は、文学におけるこの生産経済計画の扱いかたを自己批判し、三〇年の秋から、労働者クラブの文学研究会指導方針を、すっかりかえた。これまで、文学研究会は、狭い、幼稚な文学趣味[#「文学趣味」に傍点]に毒されていた。工場で生産に従事している若い労働者が、七時間労働を終って研究会の椅子へ坐ると、彼の頭からは職場も生産経済計画の数字もけし飛ぶ。労働しているときとは眼つきまで別人のようになって、自分たちの建設的労働を外から眺め、大いに凝ったつもりの詩をそれについて書く。そして、文学研究会の机のまわりでだけ通用するような仲間の批評に熱中する。しかも、基礎的な文学の勉強は組織的に行われていず、党大会の前に作家団と作家団との間に行われ「ラップ」の内部にも行われた社会現実を土台とした意味深い文学上の理論討論について、或る研究会では何にも知らなかったという実例があった。「ラップ」はそれで驚いた。プロレタリア文学の普及は、そういう風に労働と分裂して行われることがあっては邪道だ、それでは真に前進的な勤労大衆の中からよい作家を導き出すことも出来ない。文学研究会の指導は、あくまで生産に即して行われなければならない。文学研究会気質を撲滅せよ!
 文学研究会員の前へ、あらゆる工場の壁新聞、工場新聞が、彼等の活動場面として見直されるべきものとして「ラップ」によって呈出された。文学研究会員たちよ、お高くとまって間違うな。諸君の文学的訓練は、再建設期にあって、生産経済計画充実のために、どう文学的技術を利用し得るかという具体的な習練からはじまるのだ。
 活々として人の心をとらえる階級的な文学の言葉、表現をもって、生産経済計画《プロフィンプラン》充実のために、プロレタリアートの自発性を鼓舞すること。これがソヴェト文学研究会員の第一の任務となって来た。
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文学の仕事は全プロレタリアートの任務の一部分とならなければならない。
[#枠内地から1字上げ]]レーニン
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「ラップ」は、ファジェーエフを議長として、モスクワへ千人ばかりの労働者文学ウダールニクを召集した。いきなり工場から来た精鋭なプロレタリアート前衛等だ。
 社会主義的なソヴェト生産と文学との戦線統一への具体化は、職場にあるプロレタリアート側からも、作家団に働きかけられた。
 革命的労働者農民は文学のボルシェビキ化の実践として、彼等の作家とその制作を、積極的に援助する決議をした。勤労人民である読者として批評するだけではない。全然文学的ではないプロレタリアートも、彼等の作家の活動に必要な生産についての専門的説明または職場の生活描写の指導によって協力しようというのだ。これはソヴェトでも初めてのことである。
「労働者の、文学に対する師匠的役割」の決議には、モスクワの自動車工場「アモ」、電気工場「ディナモ」「赤色プロレタリー」その他ハリコフの「鎌と鎚工場」、レーニングラードの「クラースヌイ・プチロヴェーツ」などが参加した。
『文学新聞』の第一面に、「ウラジーミル・イリイッチの名による工場」の決議文がのった。働く人民の階級展望をもって書かれたその決議文の中に、こういう箇条があった。
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(1)[#「(1)」は縦中横] プロレタリア作家は、広い大衆にわかりやすい文学の言葉で制作しろ。
(2)[#「(2)」は縦中横] プロレタリア作家は、完成した、或は未完成の原稿、ただの筋書でもいい。研究会、クラブなどで労働者聴衆によんできかせて、直接の批評や、注意を参考にしろ。
(3)[#「(3)」は縦中横] プロレタリア作家の間に行われている文学的論争は、工場で、労働大衆の批判の下にやれ。
[#ここで字下げ終わり]
 そして、最後に彼等はこう結んでいる。
「我々は全ソヴェト作家団体協議会(ラップもその中の一加盟団体)の師匠役になる用意はすっかりしている。作家団体と赤色陸海軍作家連盟とがその師匠役の組織的形態を示してくれることを我々は希望している。」
「ラップ」の新鋭作家たちの間では、文学の組織的生産が問題としてとりあげられるようになった。ソヴェトで、あらゆる生産は計画生産だ。そこにこそ、社会主義的生産の光輝がある。
 プロレタリア文学が、ソヴェトの生産経済計画《プロフィンプラン》と緊密に結合したと云っても、主としてそれは作品の主題、内容に表現されるだけだ。文学的生産は、やっぱり個人個人勝手に、すきな時、自分が発見した材料によって互に何の連絡も統制もなく書かれているだけだ。職業組合は産業別に組織されている。作家はそういう産業別の組織もない。果して、これが、社会主義国の文学的生産形態として正しいものだろうか。これは、複雑な問題をふくむ提議だ。提案は研究され、生産場面との結合は大切であるが作家を産業別にグループわけすることは、文学活動を固定させる危険があるから適当でないと結論された。ソヴェト作家はこの時期に別に一つの意義ある進歩をした。プロレタリア文学戦線の、赤軍・赤艦隊への拡大だ。
 セラフィモウィッチ、スルコフなどが主となって研究委員会が「赤軍中央会館」で行われた。一九三〇年初秋のことだ。
 ソヴェトが、帝国主義に包囲されているという国際的地位からみて、当然、もっと早く作家の問題となるべきことだった。世界の人民の解放と民族自立との社会主義達成のために、ソヴェトの生産労働に従う精鋭な前衛と、各国内の前進している労働者とは一身同体だ。まして、ソヴェトの五ヵ年計画の進行と、資本主義国の経済恐慌との開きはますます地球上ただ一つのプロレタリアの国に向って資本主義国の反ソ活動をつよめている。
 例えば一九二九年、東支鉄道問題が起って、極東特派赤軍が、中国とソヴェトとの国境へ送られた。
 赤軍は戦った。同時に占領した中国の村落へ、すぐ社会主義的な規律と文化とを移植した。彼等は、村の住民がすてて逃げた家々を掠奪から守り、農民が帰って来たとき、農村ソヴェトの組織を指導した。赤軍映画隊は、弁髪長い中国の農村プロレタリアートに、最初の文化の光、キノを見せた。医薬の補助を与えた。中国の農村プロレタリアートは次第に赤軍を愛し、彼等が村を去るときはプラカートを立て、赤軍万歳! また来て下さい、と書いてデモで停留場まで送った。
 この興味ある赤軍の国際的功績を、どの作家が書いているか? 一人も書いていない。映画があるだけだ。また前線を訪問した工場からの慰問隊の、断片的な手記しかなかった。ソヴェトの作家たちは、赤軍、赤色艦隊の軍事活動にうとかったと同様に、更により深い意味をもつその平和建設の能力と功績を理解していなかったのだ。
 研究委員会は、赤色陸海軍に対する組織的な作家の接触と赤色陸海軍内の文学研究会指導を決議した。そして、ゴーリキー、デミヤン・ベードヌイ、セラフィモヴィッチ、ファジェーエフ、バトラーク、グラトコフ、セリヴィンスキー、メイエルホリド、ベズィメンスキー、イズバフ、オリホーヴイなどが、バルチック艦隊文学研究会員、赤軍機関雑誌編輯者、赤衛軍劇場管理者その他と、赤色陸海軍作家文学連合中央評議会を組織した。それからほんの数ヵ月経たぬうちだ。ブルジョア・ジャーナリズムさえ、その規模の大さと国際的計画とで、驚きを示さずにいられなかったソヴェトにおける産業党の大陰謀が発覚した。
 これまでだって、ソヴェトのプロレタリアートは幾度か国際的な陰謀によって生産妨害を受け、それを撃退して来た。現に一九三〇年の夏にもイギリスの金でやられていたソヴェト漁業反革命運動の一つがバレた。引きつづいて、この産業党の大陰謀だ。フランスの元首相ポアンカレー、外相ブリアン、英国の労働党外相ヘンダアソン等の嘘の皮が骨までひきはがれた。
 全ソヴェト作家団体協議会では、直に、真剣な産業擾乱陰謀についての批判大会を開いた。あらゆるソヴェトの印刷物は、この陰謀発覚について発言した。ソヴェトの社会主義国家とそれをつくる勤労人民の生活をうちこわそうとする帝国主義の悪辣さに対する階級的憎悪で燃えた。
 ソヴェトを守れ! プロレタリアートの生産と文化を守れ!
 召集は、モスクワの国際革命作家書記局から、世界のプロレタリア作家、革命的作家に向って発せられた。第二回国際革命作家大会がソヴェト革命第十三年記念祭を機会にハリコフで持たれようと云うのだ。
 一九三〇年十一月一日午前十一時。モスクワの白露バルチック線停車場のプラットフォームは、赤いプラカートと、工場から、集団農場から、各文学団体からの出迎人でいっぱいだ。やがて、列車は徐行してプラットフォームへ入って来た。真先にそこから現れたのが、ドイツの革命作家ヨハンス・ベッヘルだ。続いて、キッシュ、ビリー・ハルツハイム、エルンスト・グレーゼル。ハンガリーのプロレタリア詩人カニャート。婦人作家も来た。ソヴェトに作品が紹介されているアンナ・ゼーゲルス(独)だ。
「ラップ」の書記長アヴェルバッハの挨拶で、簡単ながら熱心な歓迎の式がプラットフォームの上で始った。
 国際革命作家書記局からベラ・イレシュが喋った。赤色陸海軍作家連盟からはポドソートスキーが挨拶した。
 それに答え、ハンス・マルフヴィッツァとキッシュが、彼等の歓喜を述べ、やがて、音楽が鳴り出した。インターナショナルだ。ドイツからの作家達は、その時拳固を頭のたかさにあげ、革命的前衛の敬礼をしつつ、歌った。ドイツ語で歌った。ソヴェトの連中はロシア語だ。ドイツ語、ハンガリー語、英語、ロシア語。そこに集った革命的作家の国籍の数だけ言葉数があった。が、一つの瞬間、そういう言葉の差別は急に溶けて一かたまりの焔のような歌声に盛りあがった。それは、これらの人々が、
――インターナショナルとともに!
と歌ったときだった。
 ハリコフに於けるこの国際革命作家大会には、松山という日本からのプロレタリア作家代表も出席した。(日本に関する決議は『ナップ』二月号所載)
「ラップ」は、国内のプロレタリア文学戦線強化のために、ソヴェト同盟内の各連邦におけるプロレタリア文学の運動の情勢に熱心な注意を向けはじめた。一九三一年度に、各連邦のプロレタリア文学を網羅する文学オリムピアーダの計画が発表された。
 全ソヴェト作家協会からソヴェト芸術全般にわたって、新人紹介、その社会主義建設事業紹介の役割をもつ大文集が出版される計画だ。これは同時に、英、仏、独語で出版される。委員はアヴェルバッハ、アッセーエフ、ゾズーリャーなどだ。
 プロレタリア文学への新しい部隊養成の目的で、「ラップ」は三一年の正月から、新しい文学雑誌発行をもくろんでいる。
 ところで最近の『文学新聞』は、党とともにソヴェトのプロレタリア作家たちが、次代の交代者である子供たちへの本気な関心について報告している。五ヵ年計画は、文化的事業の第一として、学齢児童全国就学を実施しようとしている。ソヴェト全同盟内の子供が国庫負担で四ヵ年の教育を受けることになるのだ。
 革命前、ロシアの民衆の大半が文盲であったころプロレタリアートは彼等の鎖と汗とのほかに、どんな文学をもっていただろう。火酒《ウォトカ》と教会と悲しい民謡があっただけだ。革命によって解放されたプロレタリアートが、一般に文化水準を高めて来たとき、はじめて、本ものの階級の文学をもつようになって来たのだ。未来
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