、あらゆる努力を費して来た。革命前の知識階級が持っている技術はむろんだ。一九二一年には、党員でさえその大胆さに恐怖した果敢さで個人資本までを、利用した。が、革命第十年において、では、有名なソヴェトの「鋏」はどんな工合になっているか?
鋏というのはこうだ。ソヴェトは農業国として、従来やって来た。一九二八年、耕地面積は戦前の九五パーセントまでにとり戻したが、そこからとれる麦の量というのは、外国に比べると四分の一だ。それは何故だろう。農民は村ソヴェトは持ってるが、アメリカの百姓みたいな農業機械はまだもっていない。四五十年昔の、木と鋤と馬とで、広大な土地の上をノロノロ働いている有様だ。
ところが、都会における軽工業の四七パーセントまでは農村からの原料でやっている。農村には、一九二一年新経済政策以来凡そ百万の富農が出来た。富農はいつも私有財産制への逆転を願っている。
ソヴェトで工業発達のため外国から機械を買うとする。払う金貨は、国内からの麦、木材、麻等の輸出であてなければならない。農村は、まだ集団化されず、社会主義的自覚が足りず、とかく富農の悪影響によって動かされがちだ。都会の軽工業は原料不足から、農民の消耗品をつくる軽工業生産を活溌にやれない。すると農民はブツブツ云い出す。「俺らが都会を養ってやってるのに、ハア、着るもんも穿くもんも工場じゃ拵《こしら》えね。こっちも、働くの控えべ。」こうなると、都会と農村との経済状態はイタチゴッコに消極化し、衰弱するばかりだ。
ソヴェトの社会主義的生産組織は、まだこの鋏の二つの刃を、強固に結合さすことに成功する程発達はしていなかった。
一方ソヴェトの外は、どんな状態か? 地球六分の五を占める資本主義国家は、ソヴェトが邪魔だ。それは一九一七年来、わかっている。たった一つの、社会主義共和国家ソヴェト・ロシアに向って、行き詰った資本主義国家が侵略的野心を抱いていることは、年とともに明かになっている。
第一ロシアは天然資源が実に豊富だ。資本主義国家が目下苦しんで互にせめぎ合っているのは何か、原料の不足と市場の狭隘ではないか。先ず経済封鎖でソヴェト社会内部にあるいろんな政治的偏向を突ついて、少しごたごたでもしたら、それを機会にワーッと帝国主義連合軍をなだれこまそう。帝国主義の侵略主義者たちの平凡な思わくだ。あの大きいロシアの土地をわけどりその上、資本主義にとってこのましくない社会主義社会の存在をこの地球から追っぱらえる!
だが、世界の資本主義国に年々溢れて来る失業群はどうだ。商品の生産過剰。従って労働賃銀の低下、労働強化。ブルジョア産業合理化によって尖鋭化される万国プロレタリアートの階級的自覚は押えきれない。
生産拡張の五ヵ年計画は、ソヴェトの勤労階級が自分たちの幸福増進のために決心したばかりではない。世界の勤労人民解放運動の前哨としてのソヴェトが富饒な国内の天然資源を百パーセントに活用し社会主義社会の実在の可能を固めようとする意気込みの具体化だ。帝国主義国の社会に対する、最も実践的な歴史的主張なのだ。
計画は大きい。真剣な努力がいる。
一九二八・九年の新経済年度から、ソヴェトでは大じかけに日常生活プログラムの建て直しがはじまった。能率増進のために、五日を一週間とする「間断なき週間」制が実施された。
労働の規律のために、工場内の酔っぱらい、ノラクラ者は厳重に仲間から批判され、往来で、火酒《ウォトカ》の瓶をズボンのポケットからはみ出させながらフラついてる者は、ごくたまにしか見られなくなった。
キネマの映写幕に、見る。ヴォルガ河の沿岸に組織されかけている大集団農場の有様を。どうだ! ドニェプル発電所の雄大な建設工事は!
フフフフ。昼休み、工場の日向でラジオをききながら『労働者新聞』をよんでたミーチャが、仲間の横腹を肱でついた。
――ウム! 見ろ。こういかなくっちゃならない。いつだね? 俺たちんところでは?
ミーチャのよんでいる労働者新聞には官僚主義撲滅の一般集会で、やり玉にあげられた官僚主義の工場委員が、顰めっ面してさすがバツわるそうに写真にとられている。
官僚主義撲滅は、どこまでも、どこででも行われた。モスクワ・ソヴェトの内部でも。各人民委員会の内部でも。党の中でも同じことだ。
生産のあらゆる場所に能率増進の篤志労働者団「ウダールニク」が組織された。ウダールニクは党員、党外の革命的な男女勤労者を網羅した。
「軽騎隊《リョーフカヤ・カバレーリ》」は特別に組織された党からの委員とともに、生産機構全般にわたってその内部従業員の清掃に着手した。モスクワ目抜の大通りに、七階の美しい大建築がある。郵電省だ。通用門には、付剣の赤軍兵士が平和に立番している。オートバイや小型自動車にのった郵便収集人が勢よく出入する。わきのガラス大戸の上に、今日もきのうも、赤いプラカートが翻っている。何かの祝祭か? そうじゃない。プラカートには書いてある。「われ等のところで機能清掃が行われている!」
「十月」に勝利した当時、プロレタリアートの技術は低かった。いろんな役人、技師、教授が、古い陣営の中から来ている。この重大な社会主義再建設期に、有害な妨害分子が巣食ってはいないか? とそのための掃除だ。
春、集団農場中央や党の宣伝部から派遣されたコムソモーレツ、専門家たちは、彼等を支持する貧農中農らの働く耕地の泥にまびれながら、富農とその一味との激しい階級闘争を闘った。それは、かけねなしの「農村の十月」だった。或るコムソモーレツは、村の富農に窓越しに射撃されて即死した。
或る村で、積極的な集団農場組織者だった村ソヴェトの役員が、或る日中央からの党員と、管内巡察に出かけた。森にかかった。いきなり道ばたの数丈もある杉の木が彼等ののってる荷馬車の上へ倒れかかって来た。ソヴェトに忠実な二人の活動家は圧死した。杉が倒れたのじゃなかった。その木のかげにいた三人の富農に倒されたのだった。そのほか麦穀倉庫への放火。等々。
富農は財産を没収され、或るものは村から追放された。或るものは、コムソモールを殺した銃で自殺した。
「サラフキへ行かないのかい? まだ。――」
冗談も、一九二九年には変った。サラフキというのは不正なことをしていた技師などが頻々と送られる労働植民地の名だ。
復活祭・降誕祭は、反宗教宣伝の日となり、クレムリンの外壁にあった辻堂などもとりはらわれた。
本屋の店頭は、五ヵ年計画に関するパンフレットの洪水だ。
プロレタリアートの党と政府とは、飛び散る階級闘争の火花の間で、率直にボルシェビキらしく告白している。
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国家は金がいる。君等の余分な一|哥《カペイカ》を! 社会主義建設のために※[#感嘆符二つ、1−8−75]
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貯金と五ヵ年計画公債への召集だ。
職場のウダールニク達が、汗の中から大衆へ呼びかけた。
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プロレタリアートの技術を高めろ! 技術家と熟練工の部隊をプロレタリアートの中から出せ!
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一九二九年に、十月革命以来教育人民委員長をしていたルナチャルスキーが、彼の歴史的場所を、ズブノフに譲った。芸術院が改造されピクサーノフ教授、サクリーン教授などが退いた。
この灼熱的な客観的情勢の中で、ソヴェト文壇にあるいろんな作家団体が愈々その階級的立場を大衆によって批判されることになったのだ。
「ラップ」の社会主義的行軍
(1)[#「(1)」は縦中横] ――「同伴者《パプツチキ》」の没落――
ソヴェト・ロシアは働く人民の国だ。
目下社会主義の社会を建設する過程にある。
また、世界で、ただ一つプロレタリア革命に勝利した社会主義社会として、他の資本主義社会と、全くちがった社会的な基礎の上に立っている。
ソヴェトの文学運動の中核が、プロレタリア文学にあるのは、ソヴェト社会生活の必然である、また、階級の生活的な現実を芸術に表現するものとして、その階級文化の所産・武器としてソヴェト文壇に並存するいろんな流派を指導し発展の方向を示すのがプロレタリア作家団体であるのはわかりきったことだ。
一九二五年に、現在のロシア・プロレタリア作家連盟(ラップ)が全ソヴェト・プロレタリア作家連盟(ワップ)という名称で、第一回の大会を開いた。ルナチャルスキーやブハーリンが列席して演説し、ロシア共産党(ボルシェビキ)の文学に関するテーゼを説明した。
この時、既にはっきりと云われた。プロレタリア作家たちこそ、解放された光栄ある労農階級のものだ。たとえ、現在「同伴者《パプツチキ》」作家たちの業績がより目立っているにしろ、彼らは社会主義社会の発展につれて変化してゆくものだ。現在は幼稚だとしても、プロレタリア作家の未来は大きい。前進するプロレタリア階級の文化とともに、益々いいものが書けるようになる。ルナチャルスキーは、彼の永い演説の最後を「プロレタリア作家万歳!」という声で結んだ。
同時にプロレタリア文学の発展と完成へ向っての鍛錬は、まったく自力でプロレタリア作家の努力によってされなければならないことも、明瞭に云われた。レーニンは云った。「文学は党の文学とならねばならぬ。」それは、党の方向に一致した階級の文学でなければならぬという意味だ。党のテーゼは言明している。党は文学のいろんな流派が持っている社会的階級的内容を、正確に識別するが、決して、その中の一つの傾向だけに党を結びつけることはしない。「全体としての文学を指導しても、党は或る一定の文学的分派を支持することは出来ない。」「党はあらゆる異った団体及び潮流との間の自由な競争を宣言せざるを得ない。他のあらゆる解決は役所的、官僚的な虚偽な解決となるだろう。」
つまり、党は、プロレタリア作家団体だからと云って、その団体ばかりを特別エコヒイキはしないぞ。ソヴェト同盟内の革命的プロレタリアートと党とは、過渡期のソヴェト社会内のあらゆる異分子と闘い、或るときはそれをボルシェビキ的な指導によって、発展させることによって、実践によって、社会主義社会建設の道を前進している。プロレタリア文学の発達の道も同じだ。多くの流派の間で揉まれ、試され、闘いつつ、自身の文学的実践で自分の道を勝ちとれ。そういう意味なのだ。
階級社会の現実につよく根ざして成長するものでなくて、権力によって調節されたり、特権を利用しなければ権威のないような文学的見地に立つなら、プロレタリア文学は発展も成長もしないという意味のことを云っているのだ。こういう、党の文学に対する態度が、正当であるのは誰でも認めるだろう。
ソヴェトに於いて一九一七年から二一年までは、時々刻々が燃え立つ革命の年であった。
「十月」と同時に散兵して、いろいろな文学の陣営についた作家たちは、めいめいの場所で、ソヴェト文学史の上に、意味ある仕事をした。
新経済政策以後、五ヵ年計画実施までの六年間を一口に云えば、ソヴェトのプロレタリア文学にとって一種の模索時代だった。勿論彼等は勉強していた。主として技術向上のための勉強をやっていた。何故なら、革命当時の、生活の火がペンに燃えついているような作品はもう書けない、「十月」は歴史的に扱われなければならず、「今日」は複雑だ。「十月」を描くにしろ、それは緻密な分析と綜合とをもって注意ぶかく、展望的により高い永続性をもつ芸術的技術で書かれなければならない、立体的にそして現実的に。――革命当時のプロレタリア文学の作品がもっている類型を揚棄しなければならない時期になった。プロレタリア作家が古典や外国文学を勉強していたその数年間に、「同伴者《パプツチキ》」の作家たちはナカナカ仕事をした。左翼のパプツチキ作家団体の中でも、マヤコフスキーを主とする未来派出の「左翼戦線《レフ》」または「構成派《コンストラクチビスト》」の作家、或はプロレタリア団体の中でも左翼的で歴史も古い「鍛冶屋
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