よってソヴェトの勤労階級は全線的に自身を動員し、立ちあがった。が、「十月」時代の英雄主義《ヒロイズム》と、現在社会主義建設のためかくれた功績をつみつつあるプロレタリアート農民の英雄主義《ヒロイズム》とは、まるで、心理も、表現も違う。
 一九二八・九年のソヴェトの英雄は、銃を持ち血走った眼で森の中にかがんではいない。槌をもって、或は動力《モーター》のスウィッチの番をして、工場の粘りづよい労働の中にいる。耕作トラクターの油と耕地の泥にまびれながら、或は村の橋ぎわにマホルカ(下等煙草)ふかしながら、貧農と今夜の村ソヴェト集会について話している若者の中にいる。「ラップ」の作家たちは、それ等を記録するに空虚な形式上の目新しさが何の役にも立たないことを学んだ。誇張的な形容詞や、感歎記号や、ただ行《ぎょう》を切りはなして、
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彼等は
   働いている
 工場で※[#感嘆符二つ、1−8−75]
[#ここで字下げ終わり]
と書いたりすることは、ちっとも必要でないことを、自得した。階級としての人間の集団と集団との関係。人間と機械との関係。それ等は、具体的な社会主義社会建設のための諸活
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