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「十月」と同時に散兵して、いろいろな文学の陣営についた作家たちは、めいめいの場所で、ソヴェト文学史の上に、意味ある仕事をした。
新経済政策以後、五ヵ年計画実施までの六年間を一口に云えば、ソヴェトのプロレタリア文学にとって一種の模索時代だった。勿論彼等は勉強していた。主として技術向上のための勉強をやっていた。何故なら、革命当時の、生活の火がペンに燃えついているような作品はもう書けない、「十月」は歴史的に扱われなければならず、「今日」は複雑だ。「十月」を描くにしろ、それは緻密な分析と綜合とをもって注意ぶかく、展望的により高い永続性をもつ芸術的技術で書かれなければならない、立体的にそして現実的に。――革命当時のプロレタリア文学の作品がもっている類型を揚棄しなければならない時期になった。プロレタリア作家が古典や外国文学を勉強していたその数年間に、「同伴者《パプツチキ》」の作家たちはナカナカ仕事をした。左翼のパプツチキ作家団体の中でも、マヤコフスキーを主とする未来派出の「左翼戦線《レフ》」または「構成派《コンストラクチビスト》」の作家、或はプロレタリア団体の中でも左翼的で歴史も古い「鍛冶屋
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