ソヴェト文壇の現状
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)自棄《やけ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)五|留《ルーブリ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#感嘆符二つ、1−8−75]
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序
――目に見える変化――
ソヴェト文壇の空気はこの一二年に、ひどくかわった。
著しいかわりかたは、ハッキリ目に見えるところにある。「作家の家」と云って、ソヴェトのいろんな作家団体がそこに事務所をもっている昔の革命家「ゲルツェンの家」へ行って見るだけで充分だ。
われわれは一九二七年の暮、おしつまってモスクワへついた。多分、翌年の正月だったと思う。「ゲルツェンの家」で「日本文学の夕べ」が催された。
あんまり大きくない講堂で、円柱が立ちならんでいる舞台の奥にひろい演壇がある。レーニンの立像がある。赤いプラカートがはられている。そこへ、革命十周年記念祭のお客で日本から来ていた米川正夫、秋田雨雀をはじめ、自分も並んで、順ぐりに短い話をした。キムという、日本語の達者な朝鮮人の東洋語学校の教授が、通訳だ。話すものはテーブルに向って演壇の上で椅子にかけて話す。わきで、大きな体のピリニャークが、煙草をふかしながら、彼の作文「日本の印象記」の中から朗読すべき部分を選んでいる。
開会がおくれて、すんだのは夜の十二時頃だった。一服しようと云うことになって、食堂へゾロゾロ下りた。――地下室なのだ。
ピリニャークが扉をあけて、サア、どうぞと云った。自分はその晩日本のキモノをきていた。だからみんなが見る。しかし、テーブルにいろんな連中と並んで、四辺の光景を眺めると、深く感じることがあり、自分が見られるのなんか忘れてしまった。
そこは地下室だから、窓はない。イキレた空気の中に電燈が煌いている。白布をかけたテーブルがあっちこっちにあり、大きい長椅子がある。ピアノがガンガン鳴る。弾いてるのは赤い服きた瘠せた女だ。肩の骨をだして髪をふりながら自棄《やけ》に鳴らしている。
長椅子の上では、やっと大人になりかけた若者――ゲルツェンの家の地下室へ来ているからには、いずれソヴェト作家の卵だろう――が、女をひとりずつつか
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