の仕事台の下にぶっ倒れ、そのままそこへ赤坊を生んだことさえある。もう年金を貰って楽に暮せる年だが、ソヴェトの世の中になって今こそやっと機械は働く者の仕合わせのためにまわるようになったのに、どうしてこの楽しい工場から隠居できようと、若い者にひけをとらぬ元気で突撃隊に加わり、五ヵ年計画完成のために働いているのである。
ニーナは壁新聞がみんなの注意をひいたのに満足を感じながら自分の仕事台の前に立った。ソヴェト同盟ではどの工場や学校でも壁新聞をもっている。ニーナは、職場の壁新聞編輯部員だ。きのうは工場クラブにいのこって今朝みんなに「婦人デー」号をよますようにと、グラフを貼りつけたり、字を書いたり、一生懸命やったのである。
昼休み
賑やかな手風琴の音が工場の広場にひびきわたっている。地面に雪は凍っているが、そんなことはものともせず、モスクワ煙草工場の労働婦人たちが仕事着の上へ外套をひっかけた姿で、笑いさざめきながらぐるりと広場に大きい輪をつくっている。
手風琴をひいている断髪の女が輪のなかに、前で、二人の労働婦人がロシア踊りをおどっている。
男と女が組で踊るところを、男役を買ってでている女が、これはまたなんと威勢のいいことだ! 着ぶくれたアガーシャ小母さんである。音楽にあわせ、
[#ここから2字下げ]
ハア
ハア
[#ここで字下げ終わり]
急所の手ばたきと掛声ばかりは一人前だが、若い男が飛んで跳ねる活溌な足さばきが、その年の小母さんにできようはずはない。
[#ここから2字下げ]
ハア
[#ここで字下げ終わり]
どっこいしょ!
[#ここから2字下げ]
ハア
[#ここで字下げ終わり]
そら、あぶない! たかってそれを見ている労働婦人たちは腹をかかえて笑いこけている。
アガーシャ小母さんは、実際三月八日今日の婦人デーが嬉しくてたまらないのだ。今年アガーシャ小母さんは、工場委員会と『労働婦人』という雑誌社から、モスクワ煙草工場の最年長突撃隊員の一人として、賞を貰った。赤いリボンで飾ったレーニンとクララ・ツェトキンの肖像画、『労働婦人』二年間の購読券。アガーシャ小母さんが踊る間、それは今ニーナが笑いながら大事に抱えて持ってやっている。
労農通信員のマルーシャが、みんなにからかわれながら、額におちてくる金髪をふりあげふりあげ上気した顔をして小形写真機を覗いている。マルーシャは労働者新聞に自分達工場の婦人デーの模様を書き、何とかして、この罪のない、おどけたアガーシャ小母さんの雪の上の踊り姿の写真を插画にしようと熱中しているわけなのだ。
一汗小母さんがかいて自分の賞品のわきへどくと、音楽は一寸止み、今度は火花の散るような急調な舞踏曲がはじまった。踊り達者で名うてのオリガが、重い防寒靴をはいているとは信じられない身軽さで、つと輪の真中にでた。機械工体育部水泳選手のドミトリーが、今度は対手だ。本ものだ! 本もののソヴェトのプロレタリアの祝の踊りである。
ニーナは、ほれぼれするような二人の踊りっぷりを見ているうちに、我知らず自分もまだ春の遠い三月の雪の上で楽しい婦人デーの足拍子をとった。――
夜
小さい鏡が水道栓の横の柱にかかっている。
ニーナは、素直な栗色の髪に水をつけて、ゆっくりかきつけた。それから首のまわりを石鹸で洗って、籠の中から洗いたての白いブラウズを出し、ゆっくりボタンをかけて着た。
ああ、一時間早く仕事をきり上げてこられると、なんというのんびりしたいい心持だろう! ニーナはつくづく思った。
日暮れが早いからニーナの室には電燈がついているが、時刻にすればまだ四時そこそこである。今日の退け時ほど工場の出入口が陽気だったことはない。
工場委員会は、各職場へ、特別婦人デーのための芝居割引券をどっさり配った。ニーナはそれを貰わなかった、というのは、今夜食糧労働者組合クラブに、婦人デーの催しものがある。ナターシャをさそって、ニーナはそっちへ行くつもりなのだ。
電車の停留場まで出てみると、朝のせわしさとはうってかわった景色である。同じ毛織のショールでもよそゆきのをかぶり、祭日らしい身なりをした女が二人三人とつれ立って、電車を待っている。
枝々に白く雪の凍った並木道の間を電車が走ってくるが、チラチラとアーク燈のつよい光りをあびるごとに、風にはためく赤旗が、美しく目立つ。
「労働宮」のわきを電車がまわるとき、ニーナはなんとも云えないよろこびで、三月八日[#「三月八日」はゴシック体]と大きく輝いている赤色イルミネーションを眺めた。赤い光りはボーと屋根の雪までてりかえしている。
電車の乗合も、どっかのクラブか芝居へ出かけるらしい労働婦人たちが多い。今夜は国際婦人デーだ。ソヴェト同盟じゅうの
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング