ルヌイ劇場、諷刺劇場は、舞台を飾ることそのもののための飾りずき、衣裳のための衣裳ずきで、一度ならず行きすぎてきた。メイエルホリド劇場ではあるとき舞台装置にこりすぎる位で殆どそういう浪費の経験はなかった。
今、「舞台の美[#「美」に傍点]」の再吟味で、メイエルホリドは、彼の最初からの宣言を撤回していない。装置は、劇的表現の構成部分として必要以上の扱いを受けるべきではないという。メイエルホリドは、ソヴェト演劇の舞台は、がっしりよく組たてられた自動車、フォードが持つ美を、もたなければならないと、云っている。
この点について、非常に微妙な一つの面白い観察が下される。
成程自動車は、実用の美をもっている。全体の構成の上に不必要な、どんなネジも持っていないし、あまったどんな偶然のデッパリもない。どの部分も、自動車が自動車としてあるために必要なものだ。だが、メイエルホリド君! 君は、自動車消費者の立場で、それを眺め、ボディーの美しさを味い、このみの色にエナメルする者の立場で、自動車の美について云っているのか、または、エンジンの発達を先ず根本におく自動車製作者の立場でその美をつかみ理解しているの
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