い照明に照し出された狭い置舞台の上を、華美な着付でうごくことでフレスタコフと市長夫人、娘の恋愛的情景に非常に圧縮された濃い深い雰囲気を出した点、メイエルホリド一流の好みで、ロイド眼鏡をかけたフレスタコフが、ゆきつ戻りつ、ステッキをふって市長宅へ出かける場面で、大胆至極な赤銅ばりの柵で舞台を横断させ、動く人間を一本の強い線の左右にキッチリ統一させた手際、平凡ではない。だが、大詰の場面にパッと本物、次には全く本ものかと思うような、しかし人間で結んだところは奇抜で、メイエルホリドが、写真で見ても一風かわった風貌をもっている所以がうなずけるようだ。
動かない人形。つめたい人形。そういうものがもっている劇的効果を大がかりに、而も百パーセントの技術でつかったのはメイエルホリド一人だ。(日本のおかめ[#「おかめ」に傍点]の面はエイゼンシュテインによって映画「十月《オクチャーブリ》」の中で極めてイデオロギー的に利用されているが)
それにしても、「検察官」の舞台に漂ったメイエルホリドの、底なしのデカダンスの肉感と、オストロフスキーの「森」の舞台の牧歌的朗らかな恋愛表現、哄笑的ナンセンスとの対照。又「
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