が消え、再び舞台が明るくなったと思うと、映画のフラッシュ・バックの手法で、そこにもとのまんま「一同仰天」の型で何とも云えずかたく人形ぶりで凝固した例の市長夫人、郵便局長以下の面々がいる。
 オヤ、本物かしらん? それにしては早がわりすぎる。何だかへんだ。――人形だ。とわかった瞬間、舞台は真暗になって、見物の心には、焔で引っかきまわしたような、
 検察官が来た! 検察官が来た!
 ピーッ! ピーッ!
という印象と、仰天したまんま人形にまでかたまってしまった市長夫婦以下、郵便局長なんかの姿が、頭痛のする程強烈な感銘でのこされる。
 検察官が来た! 社会主義の検察官がやって来た! ピーッ! ピーッ! そして、そういう検察官の到着にびっくりして固まっちまう種類の人間群が、階級として、典型として人形にまですっかり固定されたことを感じるのだ。
「検察官」の大詰におけるほど印象的で強烈な大詰を、メイエルホリドは、ほかのどの脚本にもそう度々は繰りかえしていない。
「検察官《レビゾール》」では、本舞台の上へ後へ行くほど高くて幅の狭ばまった、扇形の斜面置舞台がつくられている。その病的に、薄暗く、しかしつよ
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