の群集に混って列になって棺の足許を通りすぎながら、わたしは思いがけないものを見た。
 マヤコフスキーの靴をはいた足の先が偶然赤い旗からニュッとこちらを向いて突き出していた。ごくあたり前の黒鞣の半編上げだ。この靴にたった一つ、あたり前でないものがある。それは、その大きい平凡なソヴェト靴の裏にうちつけてある鉄の鋲だ。
 ヘリをとめるに、鋲は普通靴の踵にうたれるものだ。マヤコフスキーの屍のはいている靴には、鋲が、爪先の真先にガッチリうちこまれ、それも減ってつるつるに光っている。
 煌々たる広間の電燈は、自身それに追いつきかねながらも最後までソヴェト権力と社会主義の勝利を信頼して自殺した詩人マヤコフスキーの体を覆う赤旗をくっきり照らしている。同時に、そのはきへらした靴の爪先の小さい二つの鋲をもキラキラ照らしている。彼の生涯を表象しているようなこの小さい二つの鋲の意味に数千人の哀悼者の内何人が心をとめて見ただろう。
 いつだったか古いことだ。何かで、下駄の前歯が減るうちは、真の使い手になれぬと剣道の達人が自身を戒めている言葉をよんだ。
 マヤコフスキーの靴の爪先にうたれた鋲は、彼の先へ! 先へ! 常に前進するソヴェト社会の更に最前線へ出ようと努力していた彼の一生を、実に正直に語っている。
 彼はそこから自分を解放することに成功しなかった個性的才能の型に圧しつぶされて自殺しながら、自分をのりこえ、階級の芸術家としての自分を生きこして邁進するソヴェト文化の勝利に向って万歳を叫んだだろう。わたしはそう感じた。
 だから、「南京虫」にある彼の観念的な破綻にしろ、わたしに軽蔑を感じさせるより先に、ソヴェト社会の発展の足どりの猛烈なテンポを痛感させた。
 作者マヤコフスキーにとって「南京虫」や「風呂」は芸術家としての飛躍の最後の句読点《ピリオード》だった。けれども、演出者メイエルホリドにとっては、五ヵ年計画とともに前進すべき仕事の第一歩のふみだしだ。
 これから、彼が並々でない才能を現実に向ってどう立てなおし、真実のプロレタリア演劇として必要な現実性を把握してゆくか。機械、科学、生産を、彼の云う「フォードの美」をどうプロレタリアの建設的実状の中から掴みなおすか。ここに大きい未知数がある。

 マヤコフスキーの作品と前後して、プロレタリア詩人ベズィメンスキーの「射撃《ウィストレル》」がメイ
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