てる。実際ソヴェト科学の発展は、社会主義生産の建設事業に何より必要なものだ。耕作用トラクターからはじまって、飛行機は勿論、どこかに成長しつつある同志、チュダコフの強力な発明の可能性に至るまで、一九三〇年代の自覚ある全プロレタリアートの関心事であることに間違いない。
現在ソヴェトはアメリカから、イギリスから機械を買っている。革命的プロレタリアートは知ってる。ソヴェトは、社会主義生産の技術を高めて、やがて、一台のトラクターも外国から買い込まないようにするために、今暫く、国営農場「ギガント」に、アメリカ人技師の指導をうけているのだと。
「風呂」で、マヤコフスキーは大胆に、ソヴェトの建設事業に非同情的な外国人と、いい布地の外套を着た外国人とさえ見ればペコつく対外文化連絡協会案内人の卑屈さを、漫画化してやっつけている。
マヤコフスキーが、ソヴェトを愛し、その発達を熱望し、それを自分の戯曲の中で目の前に見るように描きたがった心持。彼の所謂、「よく丈夫に組立てられたフォードの美」をその演出で把握しようとしたメイエルホリドの意志。どっちも理解出来る。二人は自分たちの才能を、五ヵ年計画遂行というソヴェトの歴史的情勢において試みている。
然し、残念ながら、そのいずれもが成功したとは云えない。作者と演出者とは腕を組んで、またここでも架空で観念的な社会主義と科学の空想の中へ辷りこんでしまった。
ほんとに職場で、鎚を振い、トラクターを運転して自分たちの体と心で社会主義建設に努力しているソヴェトの勤労者たちにとって、この芝居はどこやら擽《くすぐ》ったく、余り空想的で今日の現実と結ばれた実体がなくて、主題は現実的な力を欠いているとしか感じられない。全く、机の上で想像した作品だし、観念で模型的に演出された芝居だ。舞台から溢れて観客に燃えうつってゆく熱い焔――メイエルホリド自身が最も重大な演劇的要素としている「感情のつかみ」は、完全に失敗した。
「南京虫」を観たのは、丁度マヤコフスキーが自殺した数日後だった。
わたしは告別式のとき、全露作家団体協議会クラブの広間に据えられた棺の中に横わっているマヤコフスキーを見た。顎骨のつよくはった彼の顔、体を包んでいる赤い旗、胸の上におかれているバラの花。それ等は写真にとられ、ソヴェト文学史の第何頁かにのこるだろう。静粛にしかし門外にまでつづいている告別
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