の対立をきっかけとして描写したところから、多くの欠点を持った。トラムの演じた集団化のアジプロ劇は政治的な問題を極く見易い農村の日常的事件の中に盛り込んで潤いのある情熱的な演出だった。難かしいことを云えば技術的に未だ未熟だし、田舎臭いところもありはするがトラムにはそう云う欠点を片端から克服して行くだけの唯物弁証法的な努力と正しいプロレタリア的素質がある。つまり現代の建設期のソヴェト青年男女が持っている階級的な強みが彼等の中にはっきり生きている訳だ。何と云っても今ソヴェト同盟で一番活溌に文化活動をやっているのは勤労大衆の中の若い人々、コムソモールを中心としている。誰でも知っているようにソヴェト同盟の工場農場は資本主義国にある工場農村のように唯働かされるところから生活力を搾り取られる場所ではない。機械のあるところには、きっとその機械について働く者の文化的生活というものを考慮した設備がある。どんな工場でも集団農場でも各々倶楽部を持っている。倶楽部には文学研究部、音楽研究部、ラジオ研究部、美術研究部、政治研究部などがある。場所に依ってはとても素晴らしい体育設備をもった所もある。そういう倶楽部の設備を十分利用し、ドシドシ新らしいプロレタリア文化を高めて行くのはどうしても若い連中だ。自主的なこういう文化活動がどんな価値高いものであるかということは革命後十四年目の今日、ソヴェト文壇の新進作家達が殆ど皆、勤労大衆の中から出た労農通信員、それでなければコムソモール出の人々であるのを見ても判る。こういう人達の作品は題材に於いて非常にきっちり大衆の社会主義的建設と結び付いているばかりじゃない。作家自身が従来の所謂プロレタリア作家とは較べものにはならない純粋プロレタリア的な要素をもって生れ育って来ているのだ。絵画の方でも一つの例として独習者画家団と云うのがあるが、主として職場の若い男女だ。毎年一度か、二度、展覧会を開く。絵の方は演劇、文学に較べるとずっと発達が遅れている。文学に於ける有望な新しい作家が勤労大衆の中から出て来るようには若い画家が出て来ないが、それでも展覧会などを見ると内容的にコレチャロフなどが逆立ちしたって捕えられないものをつかまえている。将来興味ある発達の芽がある。知られている通りソヴェト同盟の学校――色んな専門芸術学校、労働科、農村青年のための学校――は生産のために働く工場
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