して来ている。それが面白いことに、革命当時はプロレタリアートの叫び、それから解放されたプロレタリアートの喜び、悲しみ、そういうものを直截に、そのまま発表しようとする、そういう傾向が強かった。
 それが建設十何年という時になって来ると、いろいろ落付きが出来て来て、そこに研究する問題がいろいろ出来て来たわけで、それでインターナショナルのプロレタリアートの音楽というものと同時に、民族的なロシアの特徴を生かした音楽をも作らなければならないということをいいだして来た。しかしそれは決して国家主義的にロシア音楽の特徴のみを生かすという意味ではない。世界プロレタリアートの共通な感情をロシアはロシアの音を加えて表現しよう。そういう意味だ。
 それから絵、例えば絵画でも、プロレタリアート美術自身の自己完成というものと、民衆が自分達の表現を絵画的に会得するために、やっぱり労働者倶楽部に研究会がある。そこで展覧会を時々やったり、いろいろな美術展覧会の見学に出かけたりしている。
 けれども、ソヴェトの人間は昔からそうなんだろうけれども、音楽、文学の方が得手で、絵はそう大して得手ではない。それで却って木版、ウクライナの木版には非常に面白いものがある。ただしかし非常に面白いのは、そういう風な倶楽部の絵画研究部で作る絵なんかは、技術的には随分下手だけれども、下手な中に如何にも、新生活が始まったばかりのソヴェトの新しい主題が非常に取りこまれている。
 例えば或る展覧会で見た絵で、農村の室内風景、それはどんな室内風景かというと、聖像は取り外されている。その代りそこにあの髯の多いマルクスの額が掛っている。そうしてその前で爺さん婆さんが何をしているかと云うと、やっぱり聖像に向って膝まずいてお辞儀しているように、マルクスに向って膝まずいて老夫婦がお辞儀をしているところを描いた絵があった。そういうのはソヴェトのプロレタリアートの絵描きでなかったら発見しない主題である。それは実生活に新しいものと古いものと錯綜して、新しいものが勢力を得て来ていることを現したもので、非常に興味を感じた、そうして笑わずにいられない、また同時に好意を感ぜずにいられない。
 ソヴェトの絵の展覧会は、パリやあちこちで開催されて、ソヴェト美術の紹介とされている。
 それでウクライナの木版なんかも非常にいいのをウィーンかどっかへ持って行って展覧会を開いた。ウクライナの木版は非常に独特で、そうして面白いものである。
 それからキノも外の芸術と同じように、勿論階級の武器だ。例えば去年の春初めてソヴェトにトーキーが出来た。そのトーキーというものは、私はアメリカのトーキーをベルリンで見たし、またイギリスで見たが、非常に音というものの使い方が慊《あきた》らない。平凡である。ただ唄わせるためにだけに場面としては必要のない場面を何秒間も続ける。そうかと思うと、物が落ちた場面の中で、実際物が落ちると、それと一緒にガタンと音が聞える。ただ説明だけである。昔の下手な活動の弁士が絵でもって男が二階へ上って行くと、「彼は今二階へ上ったのであります」といったのと同じである。アメリカのトーキーは音を概してそういう風に使っている。ソヴェトのトーキーの面白い点は、音というものを全然そういう風な画面と一緒に行く説明ではない。物を立体的に、その感情を表現するために音を使う。それが非常に面白く使ってある。深みがあり、実感は非常に強い。
 レーニンの葬式の画、これは記録として撮って置いたものに音をつけたのだが、レーニンという人間が死んだ時に、世界中のプロレタリアートがどんなに感動したかということを音でよく現している。それは何かというと、工場のヒューッという気笛、吹雪が、どんどん降る。旗がはためいている。ヒューッと鳴る気笛。弔砲がドンドンと聞える。非常に効果的な音の使いかただった。
 それの一部で五ヵ年計画についての演説、それはモスクワの大劇場で行った。それはそのまま人間と演説が撮されて行くだけである。なかなか面白かった。
 ソヴェトのトーキーの製作者はひどくその作品について謙遜である。アメリカのトーキーを見た時にこんな話がある。皆んながっかりしてしまって、到底俺達の技術はアメリカの技術に及ばないといってがっかりしたというけれども、しかし我々みたいに第三者から見ると、勿論アメリカはいい機械はもっているか知らないが、また技術も先に始めたから進んでいるかもしれないが、音と目から来るものとの結び付け工合は、全然ソヴェトのトーキーの方が上である。だからそういうつまり音の扱い方で、ソヴェトのトーキーが将来どういう風に発展するか、日本のようにこれからトーキーが出来る国ではこれが大いに参考になると思う。
 映画は、勿論つまらない映画を見たい人間は一人もいないから、どんなソヴェトの忠実な勤労者に見せるんでも、映画は常に面白くなければならないけれども、面白いなかにいろいろの教育をやって行く。衛生教育、生産の拡大に関する教育、それから、労働者の規律に対する諷刺とかいろいろやって行く。
 それで子供のために笑話的教育フィルムが出来たり……それも計画的生産で、活動も一年に教育フィルムを何本作る。歴史的なフィルムを何本作る。十月革命の歴史に関するフィルムは何本作る。喜劇は何本、外国の問題を取扱ったものは何本作る。そういう風に一年の生産計画を立て、それでいろいろやって行く。
 だから日本のように非常に短い時間に、非常に沢山のフィルムを、営利会社が有っている映画館の需要を充たすために粗製濫造をする、そういう悲劇は製作者にとってないわけである。それで今までプドフキンでも、エイゼンシュテインでも非常に長い時間かかって傑作をこしらえた。彼等の製作は、どれだけ我々の眼の前に出て来ない沢山の習作の中から抜粋して映画にされたか分らない。だから隠れた時間と労力が沢山ある。そのことについて今問題がある。キノはもう少し早く製作することを習得しなくてはいけないということをいわれている。
 例えば衛生に関するフィルムでどんなのがあるか、既にロシアの油虫は有名である、南京虫も随分いる。それでキノを見ると、とても大きくて、まるで人間が食われそうな南京虫がフィルムの中に出て来る。これを退治しなければたまらない。そういうものは主としてどういうところに住んでいるかということ、それが物語り風に出来ている。そうすると、そこへ一日の労働を了えて疲れて帰って来て、枕に就くというとかゆくて寝られない。そのうちに夜が明けて、眠り足りないで工場に出たから、工場で機械の中に捲込まれて悲劇が起る。これは労働者が自分達の生活の規律と、自身の安全のために清潔にしなければならぬ。それがため南京虫退治にどういう薬があるか、また台所の油虫はどんな風にしなければならぬかというようなことを教えている。
 ソヴェトは五ヵ年計画で、ラジオの中継局とキノのステーションを何千と新しく造ろうとしている。各自の文化の向上のために、芝居よりキノと、ラジオが一番直截で費用がかからないで大衆的でよい。芝居は訓練された技術者が要る。また照明がなくてはならぬし、場所がなければならぬ。ラジオなら中継すれば野の中へでもみんな固まって聴くことが出来、それに今は農村に於ける集団農場が文化の中心になっている。だから集団農場の倶楽部に皆キノだのラジオが集中されて、農村で生産をすると同時に新しい文化が進入して行く。だからトラクトルと一緒に新しい文化が農村に及んで来るわけである。
 それでいろいろの部分を見て、非常に感ずることは、ソヴェトのように生産が本当の意味で合理化されているところ、労働の社会主義的に行われているところでは工場にしろ、農場にしろ、ただ労働の搾取だけあるというところは一つもない。必ず自分達が働く場所には、政治的の教育と、文化の教育というものがある。それは実に羨ましいところだと思う。[#地付き]〔一九三一年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
   1952(昭和27)年12月発行
初出:「アサヒクラブ」
   1931(昭和6)年1月1日、7日、14日、21日、28日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
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