うことがはっきりする。で恋愛は自由というけれども、公事ではないから、自分の私事問題だ。これが社会的に問題となって各自責任があるのは、女のもっている、或は男のもっている社会人としての責任義務を通して社会一般の問題となって行くだけである。恋愛をその日の事業として暮すというのであったら、それは社会人として第一に排撃される。クララ・ツェトキンの書いた「レーニンの想い出」に、戦時共産主義時代に若い党員が恋愛の自由ということを感違いして、いろいろの誤謬を起したことにレーニンが非常に心配して、今の若いものは恋愛というものは一つの生理的問題に過ぎないということを非常に誤解して、あんなに有望な青年達が娘のスカートを追っかけてゆくようではと非常に心配していたことを書いている。併しそういう点は今の若い人間はズッと進歩して健全になっており、それだけ社会状態が落付いて来たわけで、これはソヴェトが今再び建設時代に入っているはっきりした証拠である。
それから映画も、芸術を通して社会主義社会をどういう風に建設して行くか、ということを一般に知らすものとしてつかわれている。ソヴェトが今日に至ったまでの歴史、生産に対する
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