ないものをもって来て、子供の空想の種としようとする努力をしないで、子供は日常の生活の中の自分達の周りのものでどんどん連想を発達させ、想像を逞しゅうすることが出来る。だから十二三位の子供と話して見ると、彼等の有っている知識が実に整然としていて、範囲が非常に広く、国際的であるのにびっくりする。無駄がない。

 それからまた一方に、ソヴェトの教育は、労作と結び付いている教育である。だから例えば我々が学校で遠足に行く場合には、先生が、どこそこへ遠足に行くから金をいくら貰って、学校に何時にいらっしゃいということで、何行の汽車に乗るか、何分かかるか、東京から何マイルあるか、何にも知らなかった。
 だけれども、ソヴェトの子供は自分達の委員でもって、遠足する場合に自分達で研究する。汽車はいくらかかるとか、モスクワから何マイルあるとかいうことを調べる。それだから我々より余程自分がどこにいるかということの地位の測定とか、それから距離との関係、都会と田舎との関係、そこにある生産というものをよく知っている。そうしてそういうことをさせる習慣をつくらせる。だから今のソヴェトの子供が本当に新しい時代の人間として発育しつつあるということ、これは誰も否定することが出来ないものである。そこにソヴェトの未来の強さがある。
 それから音楽教育――音楽なんかでも、音楽の専門的な発達のための努力とその音楽を一般的に民衆に分からして行くこと、それから民衆自身が何か自分達の楽しみのために、或は集会の時に、示威行列の時に、自分達の楽隊で演奏するために、音楽の研究会というものは大抵どの倶楽部にもある。そこで主として吹奏楽、それでなければギターやバラライカを主にしたもの、それで一週間に何度と仕事のあとそこへ行って研究する。例えばメーデーの時、革命記念祭のデモンストレーションの時には、各工場は自分の工場の音楽隊を先に立てて行進して来る。
 専門的な音楽の発達のためには、ソヴェトは音楽学校の非常に程度の高いものをもっている。そこでシーズンが来ると、外国から来る人もあって盛んにやっている。それは全然専門的なもので、毎年専門技術家を卒業させて、新しい演奏家、作曲家がどんどん出て来る。
 ソヴェトでは昨今音楽でも一般的なプロレタリアートの精神を現した音楽と同時に、ロシア民族というものの有っている特徴を音楽の中に生かすことを問題と
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