のために人間は十分その智慧を生活の便利のために獲得しなければならぬということ、そういうことを知らすために、印度人の子供がレントゲンを見たことがない、ソヴェト科学者とその息子が印度に暮していて、それの息子がふざけてレントゲンでうつすとインドの子供の手が骨ばかりになって見える。自分は死んだとワイワイ泣くと、電気が消えて、レントゲンが消えて、また元の自分になって印度人の子供が非常にびっくりする。それを見ている子供たちも、とても一生懸命だ。印度人の子供が安心すると、自分たちも一緒に安心して拍手喝采するというので、非常にいいところがある。
それから同じ「印度の子供」の、宗教反対教育のために、印度の小さい女の子が変挺子《へんてこ》なお寺の人身御供みたいなものに上げられてしまう。そしてその友達の、レントゲンを見て驚いた男の子が助けてやりたいと思って、科学者の息子に助力して貰いにいく。少年は寺へ侵入して偶像は偶像であるということを明かにして娘を救い出す。ある場面では日本の壇の浦の遠見の敦盛みたいに、オートバイが舞台の前から出て、遠くまで行ってむこうの高い橋を小さくなって走ってくるところを見せる。そこは操り人形になって来る。技術の上で非常に進歩的に、真面目に芸術的な効果の強い演出をやっている。
その舞台の恰好は特別な恰好で、古代ギリシャの舞台、お能の舞台のようで、三方があいて、それが観客席に突出ている。それだから観客の中から舞台に非常に密接だし、必要なときは舞台をどこまでも拡大することが出来る。舞台がそういう形だから、観客と舞台の上の出来事が近くて、差別がはっきり分らないので、その場合非常に舞台と観客とを結び付けることが出来るわけである。そこではやっぱり大人の劇場と同じに、舞台装置の模型を作っていろいろなものをやっている。外国の翻訳もやり、ロシア作家のものもやる。
それで興味のある点は、いつでもソヴェト全体が、生活の目標として、努力の目標としている点を子供にも理解させて、子供が大人の生活と同じに、自分が社会の一員として感ずるように、脚本を通して教育して行くということと、それから主題の扱いかたに全然欺しがない。子供を甘やかしていない。勿論分り易く扱っている。だけれども、社会主義的な見地は一歩も譲っていない。共産主義的な点で押して行く。そこが興味がある。
外の国みたいに、子供のた
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