のは農業生産の基礎である、一農戸に属するものだから、土地を子供の哺育費に取るということは出来ない。)

 勿論ソヴェトでも社会的責任を理解している人間ばかりはいないから、いろいろ間違ったことが沢山ある。だから自分の女房があっても他に女をもっている。要するに妾ですが、妾をもっている人もある。併し形はそうであるけれども、女がそれによって、つまり男によって食わせてもらっているか或はそれとも合意的に一時的に生産単位として独立している女が男とそういう関係を結んでいるかということで随分また社会的の意味は違って来る。現在の若い青年共産主義同盟員、女子青年共産主義同盟員、そういうものの恋愛に対する観念はどうかというと、戦時共産主義時代は、社会が新しいものを創り、古いものを壊そうとする非常に激越した時代だった。だから恋愛というものに対する考え方も或る点非常に機械的になってしまった。
 個人個人の間の恋愛形態が社会にどれだけ連帯責任をもつかということよりはむしろ旧時代の恋愛および結婚生活が絶対のものであるという私有財産制から発生したブルジョア一夫一妻制の宗教的考えを打破するに急であった。だけれども現在は建設時代に進んでいるから、恋愛、家庭生活、結婚ということが各個人の社会人としての連帯責任に基礎を置いているということがはっきりしている。だから万一一人の青年共産主義同盟員が片っ端から女を引っかけてゆくとする。それを恋愛は自由であるからとして放任して置くかというと全然反対である。余り非社会的な行為をする場合には青年共産主義同盟の中で、同志的制裁を加えるか、反省を促される。女の社会的価値を無視したことをやれば勿論除名もされ得る。だけれどもそれだけが第一の問題となって除名されるということはない。つまりそういうことをするのがその男の社会連帯責任を無視する一つの実例として見られるのです。
 それからお互の性的関係は先ず第一に衛生問題であって、性的な慾望をいろいろ宗教的に決めてしまったり、そこへ妙な道徳観を拵えたりする、そういうことはさっぱり捨てている。男女が互に好きだということ、それは性慾から派生した感情、そういう風にはっきり理解して行く。だから自分の性慾が自分を刺戟して或る人間に対する興味を感じた場合、その対手の社会人としての価値で引つけられたかどうかという点はきりはなして考える。その点での誤謬
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