る丈無我な態度で、私の観察し得た範囲の米国女性観を述べて行こうとするのでございます。斯様に広汎な問題を取扱う時、私共は如何うしても「一般」と云う点に其の目標を置かずには居られません。何処の国にも極端はございます。そして其の極は詰り人間の生活の極だとでも申しましょうか、哲人の価値は神の光栄でございます。痴人は人類の悲歎でございます。其故、私は真に徹した生活をして居る者の価値は、日常生活の風習の差異等を眼中に置かない共鳴を持つと信じて居ります。然し、私が此から観て行こうとするのは、一般でございます。中位《ちゅうぐらい》の一群でございます。私が故国の女性を思うと同じ一般の女性を語ろうとするのでございます。
 第一、米国婦人の一般が、優秀な健康の所有者であると云う事は、何を以て否定する事も出来ない事実でございましょう。確かに彼女等の精力は、私共日本女性を超えて居ります。そして、彼女等の体躯が強壮であると云う事は、其裡に単に運動を重んじるとか、衣服が活動に便利であるとか申すより以上に深い根原を持つ事を知らなければならないと存じます。
 或一民族の健康状態が、その民族の国家的境遇並に文明の程度と重大な相対的関係に在る如く、女性の生理的健康の差異は、其の根深い原因を彼女等の所有する精神的歴史の裡に持って居るのでございます。
 民族的悲運に陥って居る国民が、生理的に優越国民を凌ぎ得ない事は、彼等の悲しめる魂の所産でございます。絶えざる不満、圧迫の下に束縛されて、嘆き悲しみつつ軈ては其にも馴れて無感覚に成った不幸な魂が、如何うして輝く肉体の所有者に成れますでしょう。
 基督教が赤子の時から吹き込んだ「平等なるべき」人類として、彼等の尊重すべき伴侶として立つべき位置に立てられて幾代かを経た此方の女性と、彼女の最愛の「良人」をさえ「主人」と呼んで暮して来た日本女性との間に、其の力ある発展に於て差異を持って居るのは、寧ろ悲しむべき当然と申さなければ成ないのでございます。

        (其四)

 C先生。
 人間は人間を超える力を持って居ります。然し其と同時に、獣より悪い獣に成る事もございます。人は少くとも人間の構成した社会に於て持つべき正当な権利と義務丈は、正確に自覚し又保有すべきではないでございましょうか。人類として総勘定の内に入れられないとすれば女性は何の為に存在を許し、許され
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