的称嘆とその事との間には大きな差の在る事でございます。或る輝きに盲目にされて、夢中に双手を挙げて叫ぶ感激は、純粋な批評と申す事は出来ません。感激の強度と、批評的価値の高下とは綿密に考えられなければならないものではございますまいか。
 けれども、私共は先ず、此の催眠させられる程烈しく湧き上る憧憬は、如何なる背景をその後に持って居るか考えなければなりません。其程の恍惚の歓びは、何処から来るのでございましょうか。崇拝者の多くは、その程度の差こそあれ、悉く現今の日本女性に、満たされない心を持った一群であると申す事が、何よりも雄弁にその原因を物語って居るのでございます。
 現代の日本女性に就て公平に考えて見ると、或種の人々の考えて居るように、楽観すべきものでも無く、或人々の只一口にけなす程価値の無いものでもございません。教育家の一部が易々諾々として教案を草し、その教案によって百年一日の如く恐ろしい厭怠の裡に所謂良妻賢母を説いて居る、その偽瞞の現状維持は、強いても日本女性を楽観して居ります。然し、其は軈《やが》て彼等のギロチンになりますでしょう。若い女性、従来若いと云えば、直ちに幼稚な頭脳、浅い判断と云う追従語によって形容された青年は、少くとも、生命に満ちた心其もので現代の不安を感じて居ります。魂を強め、生活に力を与える暗示を得る事は望んで居ります。一般に、彼等自ら、何とも知らぬ、言葉に表現出来ぬ不安な模索を仕て居るのでございます。青年を否定する事が直ちに反映して、彼等自らの青年時代の侮蔑であるのを知らない或人は、周囲の青年の価値を低める事に依って自らを高めようとする卑劣さがございます。所謂女らしさと云う曖昧な軛と、極端な家族制度の弊と、男性の無智と不備な社会制度は、進路を展こうとする女性に無限の苦悩を与えて居ります。其上に、長い伝習と、不具な教育とは、女性自らの体力と智力とをも束縛して居ります。従って、現代の日本の女性の裡には無数の夭折する――心理的の意味に於て――力が埋められて居ります。何物をも産出する事の不可能なよき魂がございます。よく成ろうとする無数の力、発展しようとする発芽の希願は、厚い塵芥の堆積の下で、恐るべき長時間を過さなければならないのでございます。
 私は明かに私共の仲間である多くの若き女性が、少くとも次の時代に於て、何等か有形の発展を遂げ得る動機を各自の裡に
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