われを省みる
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)脆弱《ぜいじゃく》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一向|挙止《メンション》していない

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九二三年一月〕
−−

          一

『女性日本人』の編輯に従事して居られるY氏が見え、今度同誌で、各異る年代にある人々の、年齢感ともいうべきものを蒐集されるまま私は非常に興味あり、また有益なことだと思います。
 一体私共は余り無反省に年をとり過ぎます。年齢を云々することは、何故人生にとって意義あることなのか、省察する暇もなく、口真似のように「いくつ、いくつ」と云う。
 甚しい場合、時に日本等に於ては、年をとっていると云う一事実のみが、或る階級的権威を持つ場合があります。内容は重きを置かれない。為に、老若と云う時間的な差は、全く相互の人間的連鎖を破壊し、一つ地上に生活していながら草木に対する程の愛さえ、互に持ち得ない場合があるのです。科学者の或る者は、自然の大律である淘汰の原則によって、そうであると云うかも知れません。生物学的の立場からのみすれば、その言も正しいかも知れない。けれども、思想の上から見ると、これ等、殆ど悲劇的な離反の大部分は皆各自の生活を、悠久な人類の歴史的存続というところまで溯らせて考察する明に欠けているからと思われるのです。
 多くの人間は永くて自分と子との一生ほか、生活意識の延長として持ちません。前後を截断して非常に短い時間の内容を、種々な迷執を持つ「我」を主として価値を定め、批判しようとするから、勢い、狭量な、自己肯定に堕し易い。
 人類の生活は時というものに関する認識が、今日程明白に意識されない時代から初まっていました。時に、時という命名を行ったのは人類です。
 太古の祖先等は、出生と死――発生と更新の律動《リズム》を大きな宇宙の波動と感じて生活していたに違いありません。今の私共のように外面的にこせこせと、一年二年など、数えあげていたのではないでしょう。生れ出た人間は、太陽を浴び、雨に濡れ、朝に働き夜に眠りして、徐々に育って来た。脆弱《ぜいじゃく》であった四肢には次第に充実した筋力が満ち男性は山野を馳け廻って狩もすれば、通路の安全を妨げる大岩も楽々揺がせるようになる。
 女性は、いつかふくよかな胸と輝く瞳とを得、素朴な驚異の下に、新たな生命をこの地上に齎して来る。――毛皮を纏い石を打合わせて火を造った時代にも彼等は、自分達の生れない先から生きており、今は白髪となった者達を、大切に思うことは知っていたでしょう。わが骨肉の老朽を自ら感じる者等は活力に溢れ、日々の冒険で世界を拡張させて行く者共に、絶大な期待と信任を覚えたに違いない。彼等は一つ一つに新たな発見をすることが如何程、自分等皆の生活に重大な意義を持っているか、複雑な近代人の持ち得る以上の直覚で覚ったことでしょう。一人の人間が生きることは、何等かの意味で認識の拡張を意味し、屡の失敗に於てさえも尚、貴重な経験の一部を、全群の生存の為に寄与しているからこそ、長時間の生活、日々が愛され、尊まれたのです。
 この時代から見れば、私共現在生きる社会は、原人の夢想だにし得なかった大統一と同時に大分裂に支配されています。自然を征服し得たことは、人生に多大の霊光を与えた。四肢に集注されていた生活力は頭脳に分与されました。賢こくなった人間、豊富になった筈の人間精神の明確なるべき今日の人の多くがそれなら、果してひたすら発育して自己の肉体、精神の内感のみによって、宇宙に満ちる時の推移を直感するほど、深刻であるでしょうか。それほど迄に、切実に人類の全生活、運命に即した敏感を持っていましょうか。
 云うことを許されれば、時の概念は、余り皮相的にあまり抜け目なく、地球の面に割りあてられすぎました。さながら碁盤の目のように一つの石、人間が動けば必ずどこかの筋目に入らないと安心しない。四角のどの目にか入れば入ったという事実そのものがさも意義あることらしく、咳払いをする。
 極言すれば、私共の生存が、時で計られるのを全然忘れる必要があると思います。社会の歴史から客観すれば、或る個人がどの時代に生きたということは問題になっても主観としては、これ等の知識からまるで放たれ、もっとももっとも朴直な而も純な太古の心を以て、わが宇宙をわが愛で認識し、整理してこそ甲斐があると思います。もっと無邪気に、雄々しく個人と人間全部のアタッチメントを感じてよいと思います。
 そこに於てこそ、自分が苦しみ、悦びしつつ経て行く生活過程に絶対無二な意義を感じ得るとともに、近くは親同胞、配偶者、あらゆる友、生きている者全部の営みに、尊
次へ
全4ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング