われらの家
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)稍々《やや》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)中央の長|卓子《テーブル》の処には、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)落付く暇が無く[#「く」に「ママ」の注記]かった。
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 午後六時
 窓硝子を透して、戸外の柔かい瑠璃色の夕空が見える。
 朝は思いがけなく雪が降って、寒い日であった。
 泰子は、チロチロと焔の揺れる、暖かい食堂のストーブの傍のディブァンに坐って、部屋の有様を眺めて居た。
 中央の長|卓子《テーブル》の処には、母親を中央に置いて弟と妹とが何か頻りに喋って居る。
「ね、おかあさま、酷いのよ。新らしい、ちゃんと作ってある畑をわざと滅茶滅茶に踏こくったり、ガワガワ樹の皮を剥いたりするんですもの、僕驚いちゃったや
「ああああ其那ことをする者はね、決して立派な子じゃあないよ
「此の水毒じゃあないのおかあさま、よ、此の水
 卵色の着物を着た小さい妹は、一生懸命に兄から母親の注意を呼び戻そうとして、大きなコップに水が入ったのを差しあげ乍ら声をかけて居る。――
 黙って此等の家庭的な光景を眺め乍ら、泰子は何とも云いようのない、ひっそりと寂しい心持が胸に湧上って来るのを感じた。
 目の前にあるあらゆる顔、あらゆる家具は、彼女にとって皆馴染み深い、懐しいものばかりである。
 丁度今頃、矢張り斯うやって同じディブァンの上に坐り乍ら、何度、斯様な賑やかな睦しい同胞共の様子を眺めて来ただろう。
 けれども、今自分の胸に流れて居るような一抹の寂しさは、一度でも嘗て味ったことがあるだろうか。
 泰子の良人は、四五日前から短い旅行に出て居た。独りっきりで淋しい彼女は、留守番を実家の書生に頼んで、此方へ寝泊りして居るのである。
 処々に教鞭を取って、平日に纏った休日を持たない茂樹は、試験が済んで、新学期迄数日の暇が出来ると、早速、郷里に父親を訪問する事を思い立った。
 老人は、もう七十歳に近い。近頃、健康が勝れないと云う稍々《やや》悲観した手紙を受取って居たので、三月には、二人でお訪ねしましょうと云う事が正月頃から懸案に成って居たのである。
「去年も今頃だったろう、あれは幾日位だったろうかな
 少し暇のある夕飯後など、彼等は、小さい一閑張りの机の
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