正直にたたかって行かなければならないことを、自分にもひとにも確認する日としてあらわれているのである。
 平和という言葉は、真に民主的に自立した日本の、まじめで勤勉な男女人民の平和建設を意味してあつかわれるべきである。
 平和のために、という字に乗ってあらわれる暴力や分解作業、勤労する人民の生活条件の切り下げなどを、わたしたちは、はっきり、真の平和のために必要なことと区別して理解しなければならないと思う。
 不幸にも日本の男女は、これまでただの一度も、しんからファシズムに反対して自立たちの力で守りとおした平和というものの、高鳴るような歓喜とほこりとを経験していない。それだからといって、いや応なく戦争にかり立てられた過去の日本のわたしたちの犠牲は軽少ですんだとでもいうのだろうか。
 平和のためという言葉が、日本語では独占資本の跳梁という意味だったり、世界平和の砦ということがファシズムの走り小僧という意味であってはならない。民主日本ということが、隷属日本であってはならないように。
 日本の母性よ、ひろがれ。
 世界の母の一人となるまでつよく成長せよ。
 母性がすべての女性のうちにあるならば、
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