た渡り廊下の外の庇合には、東京に珍しく堆たかい雪だまりが出来たりしていた、その光景は変化のない日常の中で不思議な新鮮さをもって印象にのこったが、折から目に映じるそういう荒々しい春の風物と、新しく私のうちに生じて重大な作用を営みはじめた悲しみが歓喜に溶け込む異常な感覚とは、互に生々しく交りあって波動するようで、雪だまりがやがてよごれて消えるのもなかなか忘れ難い時の推移であった。
 父と私との情愛が、独特な過程をもっていて、理窟ぬきの、黙契的な然し非常に実践的な性質を持つようになったことには、私たちの母であった人の性格が大きい関係を持っていたと考えられる。
 母は情熱的な気質で、所謂文学的で多くの美点を持っていたが、子供達に対する愛情の深さも、或る時は却ってその尊ぶべき感情の自意識の方がより強力に母の実行を打ちまかすことがあった。私はそういう母の愛についての理窟には困った。父もまた良人又は父親として、そういう点の負担を感じる機会が少くなかったであろうと思う。父と私とが永い変化に富んだ親子の生涯の間に、殆ど一遍も理窟っぽい話をし合ったことのないのは興味あることだったと思う。
 父は明治元年に
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