いかというだけで存在価値をきめられる場合がある。即ち自分の満足する良人や恋人が身辺にあれば、世界中のどんな男の存在も見えず興味を牽かず、注意をひかないというような単純さだ。作家ではあっても、女性である場合、このような一種異様な軟かさから、すっかり自由になり切れないのではあるまいか。心理的にも複雑なことだから、こんな不用意な疎雑なことで完全に説明されるとは思わないが、兎に角、女性の芸術的作品に、晴々強く箇性的な男性への愛重《アドレイション》が現れ難いのは、公平に云って女が救いようのない偽善者だからでも、石女だからでもないと思われる。何時も、男性を敵手と思うからでも無いだろう。寧ろ、生理的にだか伝統によってだか女性全般に共通なあの奇妙な渺茫さ、どこやら急処でもう一息というような生活意識の不明瞭さ、それ等が少くとも原因の一部なのではないのだろうか。
[#地付き]〔一九二五年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「不同調」
1925(大正14)年7月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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