戦時中にも刊行をつづけていた。「虹」は、そこに連載されたポーランド婦人作家ワシリェフスカヤの作品で、独軍制下にあるウクライナ農民の一つの村に起った物語である。麦の宝庫であるウクライナは、一九一七年から二一年頃までの間もロシアに侵入した反革命軍が食糧庫としようとした。住民たちは、侵略の恐ろしい暴力とたたかったのであったが、このたびの第二次世界戦争においても、豊かに波だつ麦畑と、それを粉に挽く風車の故に、ウクライナ自治共和国は渾身の力をふるって敵に当らなければならなかった。
 ウクライナの村々から、男は祖国防衛軍として出て行った。残った老人、女、子供らが侵入し土地に居据ったナチス軍の鉄の顎と格闘しなければならなかった。どんなにそれらの一見無力な人々が、勇気と智慧と近い将来の勝利への確信をもって暴力と殺戮とを持ちこたえたか、そのいきさつをワンダ・ワシリェフスカヤは一つの誇張もない、表面的なただ一つのアジテーションもない筆致で叙している。
 この作品には、文学におけるリアリズムの新鮮な一つの要素が、くっきりと浮び上っている。作者の心からなる同感と愛情をよびさましたそのテーマに沿って題材を整理してゆくとき、ワシリェフスカヤは、過去の文学における文学的な省略法、テーマの進展のモメントとなる各細部を、印象的に整理してゆく方法だけに頼らず、もっと深く本質にふれて、占領地域におけるナチス軍の窮極における敗退の生活的・心理的な理由を、政治的にしっかり把握した上で、政治的機動性とでもいうようなダイナミックな力で、描こうとする対象を取捨し、必要によって、ぐっとつき迫っている。しかも、実に興味あることは、二十年前のソヴェト文学のように、作者の政治的な理解力というものが、生のままそこに示されるような幼稚な段階は見事に克服されてしまっていることである。その作品の中に生き、泣き、雪の中を這って殺された子供の死骸を我が家に引摺って来る母親の、肉体そのものの温かさ、重量、足音の裡に、彼女たちの心もちそのものとして、彼女らがそうして生きとおした苦難の意義が暗示されているのである。
 局面の展開の動的なこと、それを、ゆっくりと大きく移してゆく作者の力量は、近代感覚に満ちていて、「静かなドン」の調子と全く違う。浅く見れば、映画の技法の影響とも云えそうだけれども、もう一歩近づいてみれば、それは都会的なテムポの
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