分でした。さっきから眼を覚まし、むき出しの梁の上で巣を片づけていた鼠やげじげじは、木鉢に箸の鳴る音を聞くと、揃って床に降りて来て、お婆さんの御招伴をするのでした。
 お婆さんも鼠達も、食べるものは沢山持っていません。食事はすぐ済んでしまいます。皆が行儀よくまた元の梁の巣に戻って行くと、お婆さんは、「やれやれ」と立ち上って、毎日の仕事にとりかかりました。仕事というのは、繍《ぬい》とりです。大きな眼鏡を赤鼻の先に掛け、布の張った枠に向うと、お婆さんは、飽きるの疲れるのということを知らず、夜までチカチカと一本の針を光らせて、いろいろ綺麗な模様を繍い出して行くのでした。
 下絵などというものはどこにもないのに、お婆さんの繍ったものは、皆ほんとに生きているようでした。彼女の繍った小鳥なら吹く朝風にさっと舞い立って、瑠璃色の翼で野原を翔けそうです。彼女の繍った草ならば、布の上でも静かに育って、秋には赤い実でもこぼしそうです。
 町では誰一人、お婆さんの繍とり上手を知らないものはありませんでした。また、誰一人、彼女を「一本針の婆さん」と呼んでこわがらない者もありませんでした。
 何故なら、お婆さんは
前へ 次へ
全8ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング