農民との間の戦争であって、決してただ国と国との戦などではないという点です。そういう深刻な戦争の先棒をかつぐ決心をしている日本の帝国主義にとって、日本プロレタリア文化連盟は邪魔でしょう。
 ラジオ、映画、芝居、新聞雑誌などを総動員して戦争熱を煽っているなかで、われらの日本プロレタリア文化連盟こそ、数百万の勤労大衆が日常の闘争を通じて自覚した真の階級的叫びをあらゆる出版物・サークル活動の上に反響させ、しかもその雄々しい男女勤労大衆の叫びによってさらにまた自覚しない数百万の勤労者をも階級的立場の上に呼びさましてゆくのです。彼らが『働く婦人』のいけないところというのが、世界と日本の情勢を正しく伝える「時評」および反帝国主義戦争の投書に外聞を忘れた露骨さで集注されている例でも、ファッショ化した支配階級が何を恐怖しているか明らかではありませんか。
 八十日の間、私と同志たちとの連絡は全く断たれ、留置場の外の様子はちっともしれない。作家同盟の後藤郁子、木村よし子さんたちが果物をもって面会に来てくれた時も、高等係は留置場へ降りて行ったふりをして私が「お志はありがたいがこういう場所でおめにかかりたくないから」といったと嘘をでっち上げ、到頭会わせなかった。翌日の夕方まで当の私は何も知らなかったのです。そういう中である日思いがけず高等室の机の上に『働く婦人』五月号を見つけた時の私の心持ちを察して下さい。苦境の中で編輯された跡がありありと感じられました。
 つづいて六月十九日の「コップ」拡大協議会解散後の素晴らしいデモの様子を新聞で知り思わず快心の笑がこぼれました。皆さん、覚えているでしょう。三月六日にわたしたちの「働く婦人の夕べ」が同じ築地小劇場でどんな不法な解散をくったか、残念ながらあの時はデモができなかった。暴圧はわれわれの力を鍛え、今度の拡大協議会解散後のデモの画期的成功はどうでしょう! 暴圧の嵐はプロレタリアート・農民・インテリゲンチアの解放に向って燃える焔を消し得ないばかりか、ますます強固な鉄の団結を教える尊い証拠です。
 私をついに釈放した官憲は、出てから後、私と大衆とを切りはなし、私の積極性を奪おうとして、いろいろのデマを放った。父親が詫《あやま》り状を書いたから許されたとか、私がもう仕事をやめて引込むといったとか。いまなお彼らの陰険な手は私のまわりから去っていません。けれども、みなさん! わたしたちの決意こそ、わたしたちが知っている。日本プロレタリア文化連盟をわたしらの手で守りましょう。未来を建設するプロレタリア文化の燈台の火をわたしらの手でこそ守りましょう。
 暴圧に対するわれわれ大衆の抗議をまとめ、犠牲者の釈放運動に参加しなければなりません。僅かでも時間があったら犠牲者とその家族を元気づける鼓舞の手紙を書きましょう!
 最後にひとつ改めて読者皆さんの注意に訴えることがあります。それは四月まで『働く婦人』編輯事務員として全力をつくし活動した同志今野大力が現在白テロに倒れ、危篤の有様で慶応病院に入院していることです。五月号『働く婦人』編輯後記に短かく報道されていますが、中耳炎になった彼が警察から入院させられた済生会病院は、ブルジョア慈善病院らしくろくな手当てもしないばかりか、病がすすみもう生命が危いところまで行ったと知ると、責任を胡魔化すため「君は三日か四日おきに来ればいい」と憎むべきことをいった。同志今野がそのまま死ねば三日か四日のうちにそれほど病が悪化したとでもいいのがれる魂胆であったのでしょう。
 同志今野は三回目の大手術をうけ、まだ生きるか死ぬかの境にいる。どんなことをしてもわたしたちの力でこの忠実な同志の命を奪いかえさねばなりません。三銭でも五銭でもよい、薬代を送って下さい。彼を励ますハガキなりとも書いて送って下さい。[#地付き]〔一九三二年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「働く婦人」
   1932(昭和7)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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