敬と愛とが向けられるのは、これらの婦人たちの一生から彼女が全くかけはなれた「天才」であるからではない。キュリー夫人は、何万人かの科学に献身した彼及び彼女の中のほんとうの一人の代表であるからこそ、彼等の辛苦の典型であるからこそ、彼女の存在には意味があるのである。
ケーテ・コルヴィッツの絵画の価値にしても、そうであると思う。彼女が、もしプレーゲル河の河港に働く正直な人々の生活に何の同感ももち得ない娘であったならば、どこに後年の親愛な畏敬すべきケーテが存在したろう。何の動機で、心のすがすがしい若い医師カール・コルヴィッツと結婚出来たろう。彼女は画家たる前に、先ず正直な勤労で社会に生きてゆく人々の群の一員であった。自分の手にはレース手套をはめて、通りがかる野暮なスカートの女の節高い指を軽蔑して眺めるたちの婦人ではなかった。そのことこそ、彼女の芸術上のいのちとなった。あんなに時代おくれの貴族生活の雰囲気の中で矛盾だらけの苦しみの中から生きようとしてもがき通した可憐なマリア・バシュキルツェフにしても、たった一枚彼女の生涯の記念としてのこされている「出あい」は、ほんのありふれた、どの街角にもある壊
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