めて来た証拠である。
 この「昭和二十三年の勤労者の家計について」を読んでみると非常に変なところがいく個所かある。先ずはじめの方に「賃金は月々に上昇し一年間にほとんど三倍以上になった。しかしそれと同時にヤミ価格も急激に上昇し、同じように一年間に三倍の上昇である」といわれている。こういわれると私たちは実に変な気がする。家計の苦しさは、千八百円ベースがあるのに丸公がずっと上昇したところにある。丸公の配給を円滑にして千八百円ベースでやってゆけば十一月には黒字が出る、という理論数字が政府からあんなにくりかえし示された。ところが、配給はそれで食べてゆかれないことはこれまでどおりで、丸公があがった。配給ですよ、と声をかけられてはっと財布をあけて見れば金は足りないことが珍しくなくなった。丸公があがったから一般の生活は益々窮地においこまれているのに、和田氏の家庭では、家計が二〇%改善しでもしたのだろうか。丸公値上げについては、都留副長官が、女性改造という婦人雑誌の対談会で、民報の森沢氏からつっこまれて大汗に陳弁している。和田長官はこのメモの中では、まるでそういう事実は勤労者家計に関係ないことででもあるように丸公値上げのことはよけて通ってしまっている。急所はこうしてはずされている。そして、二〇%の改善と推測しているのだが、この推測は推測というものが誤ることのあるとおり誤っている。
「生活が苦しいのは収入が足りないからであるというが」「われわれが苦しいと思うのはほしいものを買えないことである」「国民全体としてみれば、金を出しても物はふえない。物がふえなければ日本銀行券が二倍になっても三倍になっても、余分なものがかえるわけではない」
 まず和田長官の「ほしいもの」という目安が知りたい。チリ紙、シャボン、マッチ、脱脂綿、ノート一冊からはじまる学用品のあれこれ、みんななくてはならない「ほしいもの」である。丸公でこれらは買えない。都留副長官が恐縮のいたりとして認めている。わたしたちは、キツネの襟巻がほしいだの、五千円のおもちゃを買いたいなどと思ってもいない。年のくれに新聞は何と報道していただろう。銀座その他には数千円の贅沢品があふれていて、飛ぶように売れているが、生活必需品の購買力はガタ落ちだと、はっきりいっている。新しいナベがいる、ほうきがいる。ほうき一本三百円もする。「ほうきがほしいわねえ
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング