を「自白」したかということです。
世間普通の人間でも、すこししっかりしたものならぬすまないものはぬすまないと頑張ります。知らないことは知らないといいます。両事件の「自白」したひとたちは、公判にでもでればすべて明らかになると信じて「一応自白」したのかも知れませんが、一般の人々はもっとしっかりしていたたよりになる指導者だとおもっていた労働者が、やりもしないことを「自白」したという態度そのものに疑問を感じたのは当然です。だれがみても階級的によわい態度です。
弾圧というものはどうせデッチあげと、ちょう発、偽証をともないます。密告をともないます。ウソからまことをつくろうとされます。その第一歩から正直な労働者、正直な階級人、正直な市民の権利にたってたたかうべきです。
これから情勢はむずかしくなって、ますますおもいもかけない事件がつくり出される機会がふえます。もしすべての人が「一応自白」しても恥じないという考えをもってしまったら、どこに労働者が自分の階級の正義をまもり、自分の人権をまもるという信念のよりどころが残るでしょうか。
松川事件のごときは、なにもしない人が「自白」しているばかりにある
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