様にあの細いこまっかいまつ毛の一本一本がピカピカとかがやいて居る。「マア、きれいだ、何って云うんだろう、私はこんな可愛らしいきれいな人をすきにならなくっちゃあ死ぬほどすきな人に会う事は出来ないに違いない。このまつげ、この髪、この毛、そうしてマア、このバラ色のかおのリンかくと云ったら……」その美くしさに私はも一寸で涙が流れだすほど――まぶたがあつくなったほどその美くしさに感じて居た。
「ようやっとようなった。今あんまり気が立ったさかえ斯うして居たのや、どうにも斯うにもしようのないほど……ナア、涙がこぼれそうやった」
「どうして? あんな事、私が云ったから……でもそんな事考えたってしかたがないんだもの、もうやめて面白くしましょう」「そんな事やないワナ、私達よそのいとはん達から『ほら芸子やまい子や』と云われてばかり居て、――そいであんな遠いところから来たあんたにこなにしたしゅうしてもろうて何やら妙な気がしたさかえ……」まだ十七にもならないで――私はスーッと涙がにじんで来た。だまってお妙ちゃんの弱々した肩をだいて居た。二人とも一言もきかないで赤い鏡かけを見て居ると急にはしご口がにぎやかになって、「あら……おいでやす、一寸も知りませんさかえ、とんだ御邪魔」とんきょうな声で顔の平ったい目のはなれた子が云った。
「あほらしい、早う来なはれ、あかん事云わぬものやひといじめようと……わちにはお百合ちゃんがついてまっさかえ……」お妙ちゃんは今までに似ずうきうきした軽い調子で一っかたまりの花のようになって笑って居る三人の子にそう云って居る。私も急に勢の出たお妙ちゃんのはでやかな様子を見て笑いながら心の中でお妙ちゃんの行末を想像して居た。「そんなら――邪魔やったらすぐ出て来ますさかえ――ナアそうやろ」こんな事をさっきの妓が云って手拭を手すりにかけて化粧道具を鏡台の上に置いて丸く白い顔をそろえた。
「何やら、偉う、まじめな様子や事、何かして遊ぼうナ、何んか考て見なはれ……」雛勇はんがニコニコしながらこんなことを云い出した。「雷落しがいいワナ」一番ちいっぽけな女が云った。それにきまって私達はまるで夢中になった様にさわいだ。
 この時はじめてお妙ちゃんのうたうのをきいた、「マア、何んていい声なんだろう」私は声の余韻を追いながらうっとりとした様にこんな事を云った。「そうやろそうやろ、それやから倍も又雛勇はんがすきに御なりやはったのやけ?」
 今まであんまり口数をきかなかった中位の妓が云い出した。「そうですとも……もとからすきだったのが御うたきいたんで倍も倍もすきになったんです、どうして心配なの? すきだって何にも悪かないでしょう……」こんな事を平気なかおして私は云いのけた。
 お妙ちゃんは私の口元を見ながらかるくほほ笑んで居る――その様子が又たまらないほど可愛い様子だ。私は頭ん中でこういってやった。「どうしたってどうなったっても私はお妙ちゃんがすきなんだから、……いいさ、だれがなんて云ったって……」そんな事を云いあって笑ったりなんかしておひるすぎまでさわいで二時頃ビックリした様な気持で家にかえった。家のたたみの上に畳って居ても「又ナー」云って一寸私の小指のさきをつまんだお妙ちゃんの様子やあのバラ色のかおのリンかくを思うと又すぐ行きたい様な気がした。夜になったら座に行って会おうこんな事をたのしみにして夕飯をしまうとすぐ髪を結いなおして縮緬しぼりの長い袖の着物に白い博多を千鳥にむすんで祖母をひっぱって出かけた。
 私は幕のあくたんびに御妙ちゃんの出るのがまち遠しくてまち遠しくて自分の目の前にひっぱって来たいほどになった。一番おしまいの幕の一時に大沢の舞子の出た中に端から二番目に花がさをもって立って居るのがお妙ちゃんだった。私はフッと少し立ち上った。お妙ちゃんはまだ見つけて居ない。こっちをむくたんびに私はのび上った。フッと思わない時にお妙ちゃんは見つけたものと見えてその次にこっちを見た事[#「事」に「(ママ)」の注記]には笑って居た。幕が下るとすぐ男が私の様子をジロジロ見ながら「雛勇はんが着変るまでまっとくれなはれとことづけと云う事でござりますから」こんな事を云って居た。私は外に立って楽屋から出て来る一人一人を目をはなさず見て居た。「まっとりやすの、あの人もうとうに家へかえりやしたワ」あの小っぽけなのが私のまるで知らないのと二人でこんな事を云って肩をたたいて行ってしまった。雛勇はんはなかなか出て来ない。「もしかするとあの妓が云ったのがほんとうなのかも知れないけど」こんな事を思いながら下駄の先で小さい石っころをけとばしながらまって居た。どっからか、ポーッといい香りがする、階子を下りて居るらしい。「おたえちゃんだ?」何と云う事はなしにフッと思った。そして白い足袋につつまれた足がせまい階子を下りて来る、あやぶげな様を思って「若しおっこったら!」こんな下らない心配におそわれて居た。ぽっくりの音をすぐそばでさせて、
「ようまってて御呉れやはった、わてキッともう御帰りやはったろうって云っとったやに――」
 お妙ちゃんはこんな事を云いながら石っころの多いところを高い下駄に長い着物を着て居ながら器用に歩いて居た。「今夜のよな時、いつまでもいつまでもおきて話して見たい様だ事」一人ごとともつかずにこんな事を云ったけれども御妙ちゃんは何とも云わないで白い足と手とかおだけ闇の中にホンノリとうき出さしてうつむき勝にあるいて居た。私は自分の家を通り越して御妙ちゃんを送りこんでから家にかえった――。こんな様なまるで恋中の様な日は毎日毎日つづいた。そして千羽鶴をおって糸を通す針で小指をついたんで母はんに紅絹《もみ》でつつんでもらったら友達が私に小指をきったんだろうって云われたなんかって云う事があった。一日一日と立つごとに私とお妙ちゃん雛勇はんとは段々仲がよくなるばっかりであった。お妙ちゃんの家に行きはじめてから二十日ほど立った日私はおひるをたべるとすぐいつもの格子の外にたった。いつも一番さきに通るあの眉の青い女房のところから何か云ってきかせて居る様な声がひびいて居る。「どうしたのかしら」私はきき耳をたてて居るとしばらくして云ったもう一つの声がどうしてもお妙ちゃんらしい。何と云うわけもなくただおびやかされた様な気になって私は身ぶるいをした、そして、あけようとしたのをそのまんまぬき足に一間位あるいてあとは一散走りに走って内にかけ込んでホーッと息をついて白い眼をして後をふりっかえった。その日一の[#「の」に「ママ」の注記]わだかまりのある情ない一寸の事でもすぐ涙をこぼしそうな日だった。翌日私はこらえきれなくなって早すぎると思いながらも出かけた。お妙ちゃんはもう起きて居た、手まねぎをするのでそのまんまいつもの二階に上った。どことなくいつもと変って陰気が目に見えて居る様な気をして私のかおを見るとだまったまんま、細いしなやかな首を私の肩にがっくりともたせかけてしまった。「どうして? 何かかなしい事があるの? 私にどうか出来る事ならするけど――」せまい額を見ながら斯う云った。「エエ、そんなに悲しい事でもないのやけどマア、こうなのや、きいてナ。□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]きんの母はんが下に呼んでお云いやはった事だワ、あんまりお百合ちゃんと仲よくして居ると変に思う人があるといけないってナ云ってやはるさかえ『何が変やろ』云うたらナ母はんがお怒りやしたのけど一寸もわけが分らんさかえ考えてるのやー」
 こんな事をお妙ちゃんはいかにも心配そうに大切そうに云って居る。「そんな事、何でもない事なんでしょう。気にそんなにかけずといいじゃあないの、私達どうしたって今仲悪くなる事は出来ないんですもん」こんな事を云ってほかの人達と雷落しや話しっくらだのって下らない事をしてさわいだ。御妙ちゃんのたんすの上の花びんにまっしろなてっぽう百合がいかって居た。四時頃何とか云う茶屋からかかって行かなくっちゃあならないと云って着物を着かえたりなんかしながらも「お百合ちゃんお百合ちゃん」をくり返して居た。私は一緒にそのお茶屋の一町手前まで送って行った。毎日毎日私の頭ん中には「お妙ちゃん、雛勇はん」こう云う名でもってみたされて居た。ひまさえあれば一緒に何でもをして居た。お妙ちゃんの出る時には毎日でも踊見に出かけた。そうしては暗い夜道を二人で歩くのがこの上もないたのしみな事だった。そんな事をして八月も中頃になった。祖母は時に思い出した様に折々「帰ろうかネーもう随分居たんだから――」こんな事を云って居たけれ共私は懸命にもっと居る様に居る様にとすすめて居た。祖母は九月の十日頃には帰ろう、こんな事をもうちゃんときめてしまって私にもうどうにもならない様になってから云いわたされた。八月の二十九日頃であった。私のかお色はキットどうかなったに違いないけれどもジーッと祖母の瞳を見つめて居たが急に家をとび出してお妙ちゃんのところに行った。この頃私はもうじきどうしても帰らなくっちゃあならない時が近づいた様な気がして居たんでどんな事のあった日にでも一日に一度はキットお妙ちゃんの家に行って居た。用事もないらしいのんきなかおをして居るのを見ては「マアよかった、まだ帰るには間があるらしい」と思って安心して居るらしく私には思われて居た。よろこんで居るのに――と思うとどうしても私は云い出す事が出来なかった。二人は手を握りあってしずかな真昼の空気の中にひたって居た。「あのネ、おたえちゃん、私が若し帰るとすると帰る日なんか前っからきまった方がいい、それともその前の日ぐらい急にきいた方がいい、どちら?」何でもなさそうな様子で私はたずねた。「そうやなあ、いつきいても悲しい事やけど――前へ久しい時にきいた方がいいと思うワ、思うだけの事が出来るから……」こんな事をお妙ちゃんは深い考えもなくって答えて呉れた。私は私がどうにも斯うにもならない様な重い曇った気持をわざとかくす様に押し出す様な笑い方をして見たりわざと下らないじょうだんをしたりして家に帰る時には涙をこぼして居た。まるで見もしらない舞姫なんかとどうしてこんな涙の出るほど別れるのがいやになったんだろう、どうして仲がよくなったんだろう、そんな事を考えながら私はポロポロと涙をこぼして居た。翌朝私は目を覚すとすぐ行こうかとも思ったけれ共どうしてもその気になれないのでお互に気のせかせかして居る時の方が却って好いと思ったんでわざと三時すぎにお妙ちゃんの家に行った。丁度御化粧のおしまいになったばっかりの時であった。私とお妙ちゃんとはだまって座って居る、そして二人とも涙をこぼして居る。お妙ちゃんも一言も云わず私もだまって居る。
「でもマア、悲しいけどよう教えて御呉れやはった」
 お妙ちゃんは消えそうな声でこんな事を云って居た。私は私が自分のはれものにさわるよりなおおそろしくその結果の思いやられて居た割にお妙ちゃんがはっきりして居て呉れたと云う事は幾分かあてがはずれた様な気もするけれ共思ってることをこらえて見るんだろうと思うとあからさまに表わされたよりはるかに私の心には深く鋭く感じて居た。その日お妙ちゃんはただ「忘れないで呉れ、忘れないで呉れ」とくり返して居た。そして出がかかるまで何にもしないで二人で手を握りあって居た。
 その翌日もその翌日も、私はお妙ちゃんのところへ行った。
 私達は前の様にしゃべったりふざけたりはしずだまって手を握り合ってもたれあってそして時々互に涙をこぼしたりつかれた様なほほ笑みをかわしたりして居た。そうして人間の力でどうする事も出来ない時は私達の別れる時を段々迫らして来た。そして私達がそれを思って身ぶるいをして居る九月の九日になってしまった。朝起きぬけから二人は一緒に居た。そうして長い間話しもしず御飯もたべず只御互の手をなでて見たりしっとりとうるんだ瞳を見つめあって居たり頬ずりをして見たりそうして夜になってしまった。私達は十一時半の列車でたつ事になって居た。そしてその晩はお妙ちゃんは都踊りに出る日だっ
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