青い丸まげの女が坐っていた。
 その女は私のかおを見るともう前あいから知って居る様に軽々すべる様な京言葉でいろんな御あいそを云った。私は袂の先をひっぱりながらだまって笑って居た。そして二階の部屋につれてかれたのだけれ共何となく気がさす様な風で二人きりでお妙ちゃんとする様な話は出来なかった。じきに私は雪駄をつっかけて出てしまった。「もうあんな事[#「事」に「ママ」の注記]へ行くまい二人きりであの橋のわきで話してた方がいいんだもの」道々こんな事を考えて歩いて居た。その夜私はどうした訳か鏡台の赤い被いが目についてどうしても早くねつかれなかった。
 朝目が覚めるとすぐ「今日も行って見よう、一日中ぼんやりしてはとうてい居られないからそれにお妙ちゃんに会いたいしするから」斯んな事を思って御飯をたべてきのうと同じ着物をきてきのうよりはよっぽど大胆に「お妙ちゃんは?」って云う事が出来た。二階でお妙ちゃんは朝化粧をして居た。私はその後に立って鏡の中の雛勇はんの何とも云われないほどきれいなふっくらした胸のたたりとまっかな襦袢の袖の胸を被って居るのを見て居た。お妙ちゃんは時々手をやめては、器用に顔の形を変えて、「これがマア」と云われる様なおどけた様子をして見せた。そんな事に大きなびっくりするほどの声で笑いながら御化粧がすむのをまって居た。白い猫をからかって居る間に雛勇はんは後に来て私の髪の毛と自分の髪をより合わせて居た。私はそれにどんな意味があるかと云う事も知って居たんでしらんぷりをして後を向いて居た。「嬉しい!」お妙ちゃんが小さい声でこう云った時私はしずかに後をむいた。「私も嬉しいわお妙ちゃん」笑いながらこんな事を云った。「マア、あんたはん知っておいでやはるの、こんな事……」私はだまってその張のある目のパッとひらいたのを見て居た。
「マア、そんな事どうでもいいでしょう、ほかの人どうして?」「外の人寝坊やさかえ御ふろに行ったのや」「きのう来た時何だか変で一寸も話が出来やしなかった、今日長く居ていい?」「かまわんワ一日居ても、でも夕方から座に行かにゃならんさかえ」
「でもおととい出たばかりだって……」
「そうや、あの角の蝶吉はんがやすみなはったさかえ、番になったのや」
「今夜どんな着物着るの?」「あのいつもの、……けど色が今夜は水色の方を着るのや、裾が一寸あわんで気がもめるけど……」「用ないの?」「あとで一寸かあはんにさろうてもらうのやけど今日はあっちに行くからいいの……」「誰か帰って来ないうちに二人きりほかきかしたくない話があったらしちまわない?」「あんまりありすぎるやさかえ……でもわて東京のいとはんに会ったのあんたがはじめてやさかえうれしいワ、ほんと……けどあんまり早口やさかえ話が分らん事もあるワ、けど……こんなに今仲ようしててもあんた東京に帰っておしまいやはったらもう、ここ一足はなれたらサッパリ忘れて御仕舞やはるやろナ」「何故そんな事ってあるもんですか忘れるほど一寸っかつきあわない人には私の思って居る事なんかはなさないから――いつまでも仲よくしてられますとも東京に帰っても、――どこのはてまで行ってもさ」「でも不安心や、何だか忘れて御仕まいやはりそうで――そん事の悲しい事思うと今でも涙がほんまにポロリー、ポロリってこぼれるワナ」「そんなら一っそ起請文書いて小指を切ろうかしら」「それもいいやろ、けど笑われるワナ、そなような事したら御座敷に出て笑われるやろキット……」「はく情な事でもどうせそんな事しないからいいけど……。一寸会っただけでどうしてこんなに仲よくなったのかしらん……」「神さんの御ひき会せや、二人で御礼参りに行ってきやはらない、じきそこやさかえ、これまで毎朝御参りして居たの……」「何故やめてしまったの行ってればいいのに――」「もういいのやきまってしもうたのや」「何がきまったの? 私ちっとも分りゃしない、一人でうれしがってたって――」「云わんほがはなや……分っとるくせしてあかん人や……」お妙ちゃんは溢れそうに笑いながら長い袂で私を打つふりをする。
 私達は二人でお互によっかかりっこをしながらこんなとりとめもない、そして美くしい気持で薬玉の方や小猫や白粉の瓶や、そんなものを見ながらはなし合って居た。すじ向いの家で二絃琴を弾いて居る。お妙ちゃんはそれにかるい調子で合わせて居たがフッとだまって私の横がおをジーッとまばたきもしないで見つめて居る。「ドうして? 何んかくっついてる?」私はこんな事をきいた。「どうもせんけど……別れてしもうた時よく思い出せる様によく見とくのや……その方がいい思うてナ」「だってまだ七月の今日十六日ですもん九月の中頃でなくっちゃあ帰りゃあしないんだもの……。若しあんまり二人で別れんのがつらかったら京都の娘になっちまいましょう、
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