。十月十一月十二月正月二月これだけの月は淋しい思いをしながらも手紙はお妙ちゃん自身で書いたものを見る事が出来た。二月二十八日頃私が手紙を出したのに返事がなく又五日ほど立って一通出した。それだのに――私はフット疑が起った。けれ共どうと思うでなく只やっぱりああ云う人にあるものずきな気持だったかと思って居た。そんな何となし不安心なイライラする様な日がつづいてとうとう私が泣き出した様に雨がシトシト降って居る日だった。私の机の上に一の白い封筒が置かれた。
お妙ちゃんの居た家の名が書いてあってお妙ちゃんの名がない。妙だと思いながら私は中を三条り見た時マア、どんなにおどろいたんだろう。こんな悲しい知らせなら私は死んで棺に入るまでは封をきらなかったろうにとまっさおになってとめどなくふるえる手でその手紙をにぎった。どうしてマアお妙ちゃんが死んだんだろう、どうして死んで又くれたんだろう――私はこの字を幾度も幾度もくり返しくり返してよんだ。どうしてもそれに違いない。私は涙も出なかった。只何となくあんまり妙な信じる事は出来るような又出来ない様な気がしてたまらないので一つとこに居る、おゆきちゃんにあててくわしく知らせてくれと云ってやった。すぐに返事が来た。病気は何と云っても教えてよこさない、死ぬ時に私のあげたはこせこを抱いて居た事、うわ事にお百合ちゃんお百合ちゃんと云って居た事を書いてあった。そして死ぬその時までにぎって居て死んだらこれをと云って置いた扇は少し口紅がついてますが御送り致しますと書いてあった。青貝の螺鈿の小箱、口紅のかすかにのこる舞扇、紫ふくさ――私は只夢の中の語[#「語」に「ママ」の注記]語りを見てるように――きくように青貝の光りにさそい出される涙、口紅のあとに思い出すあの玉虫色の唇。
お妙ちゃん――雛勇はん――斯のどっちからよんでも何となくしおらしい舞子は私の若いおどるような心の中にあったかい、そして□[#「□」に「(一字不明)」の注記]たない思い出をきざんで呉れたのであった。
底本:「宮本百合子全集 第二十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年11月25日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第6刷発行
※底本では会話文の多くが1字下げで組まれていますが、注記は省略しました。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2009年10月14日作成
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