理について、夥しい問題を呈出している。これらの問題の中には読者にとって明かに普遍性をもった性質のものとしてうけとられ、真面目な考察に導かれるものもあり、率直に云えば、誰でも皆こういう場合こう感じ、表現し、行動するのが普通であろうかという極めて自然な疑問に逢着せざるを得ないような心理のモメントもあると思う。
 作者は少くともこの作品の内部では、それらの二様のものの性質を、現実に作用し合う因子として十分に意識し、その本質を追求し、発展の方向に捕えて観察しつくしているとは云い得ないように思える。双方が縺れ絡んでいる、その渦中に身はおかれたままである。その結果として、作中に事件は推移するが、全篇を通っているいくつかの根本的な問題、小説の抑々発端をなした諸契機の特質にふれての解決の示唆は見えていないのである。
 それにもかかわらず、「くれない」は、その真摯さと人間的な熱意の切なさとに於て、わたし達を揺ぶる作品である。この作品に描かれているような波瀾と苦悩の性質について、そこからの出道について深く考えさせる作品である。
「くれない」を読む人々は、おそらく「キュリー夫人伝」をも愛読する人々であろう。
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