いのひとがあり、それぞれ家庭の友だちとなっているのもうれしい。
二十五六歳ごろまで、私はどっちかというと友達のない淋しさをつよく感じながら生きていた。この十年ばかりは、友達の価値を全幅的に知りながらの生活である。そして、そのような十年ばかりの間に、古い昔のおだやかな友情にも、一味新たな内容が加えられて、どこやらゆたかに咲きかえった有様であることも、まことに興味ふかい。
それに私は、境遇の関係からきっとよけい友だちを大切に感じるところもあるのだろう。仲間というもののよさ。男の人たちが終生仲間は離せなくて、漫画の親爺教育のジグスのあわれおかしき仲間恋いの心持は、もう私たちの心にももちものとなっているかと思う。
家庭生活をやってゆく、仕事をしてゆく、その心持のバランスの一方が我も知らずに、仲間への心持のなかにおかれているようなところも、今日ではあながち男だけの心でもないらしい。栄さん、稲子さん、私、三人仲間がもっともっと年をとって、いろんな思いを互に経て、益々その老いて若き仲間ぶりを発揮したら、さぞや愉快なことであろうと思う。
私たちぐらいの年ごろの者が友達について語るといえば、今日の友達、世間のひとも面白く思いそうな逸話など男ならひとりでに書くのだろうが、こうして、友達というもののうつりかわりやそれに反映する女の生きかたの推移が心の前面を占めるところも、決して偶然といえないものがあるのだと思われる。
[#地付き]〔一九四〇年五月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「新女苑」
1940(昭和15)年5月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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