さい声で母に相談した。
「何でもしておあそびよ」
 すてるように斯う云って二人は又若かった時のはなしをして居る。なめらかな京言葉とパキパキの江戸弁が快くもつれてひびいて来る。御仙さんは御母さんのうしろで振の色をそろえたりはなしたりして居る。
「いらっしゃいな何かして遊びましょう。何にももってないけれど」
 御仙さんは合点したまんまでウジウジして居るんでおっかさんが、
「いってな、あそんで来なはれ。そないにはれがましゅう思わんでもいいわな」
 背中を押すようにして云ったんで、
「いらっしゃいよ、ネ、私知らない事はおしえてちょうだい、そいであそびましょうよ。そんなにすましていらっしゃるもんじゃあないわ」
 私も笑いながらこんなことを云って手をひっぱってようやっと自分の部屋までつれて来た。本ばこで四方をとりまかれて古っくさい本のわきに目のさめるようなのがならんで居たり、文庫ん中から原稿紙がのぞいたりして居る部屋の様子を御仙さんは気をのまれたように立って見て居る。
 そして、小さい声で、
「何故薬玉さげて御おきゃはらないの」
ってきいたんで、
「あなたさげていらっしゃるの?」
 私はあべこべにききかえした。
「エ、母さんがやかましゅう云うてさげておきゃはるの、かおりをつめてなも」
 御仙さんはこれだけ云ってまただまってしまった。二人は机の前にならんで坐って私の御秘蔵の本の差画や錦絵を見せた。ほそい細工もののような指さきでそれを一枚一枚まくって居る御仙さんはまるで人形のようなこのまんま年を取らせずに世間を知らせずにかざっておきたいほど美くしく見えて居た。私はそのうしろにならんだ、古い物語りやくさ草紙と一緒に毎日見て居たいほどに思われた。そしてかえってあんまりきのきかないものを沢山知らないで安心して居ると云う事がうれしかった。
 私はなるたけわかりそうなはなしをえらんで自分からさきに口をきいた。口を一こときくごとに御仙さんは私になじんで来た。私は自分が年下のくせに十六の人を妹のように思ったりもてなしたりして居るのがふき出したいほどおかしかった。
 私は東京のさわがしいことから人の様子から言葉つきから御丁寧にその人達のだれにでも有りがちなくせまではなした。
「せわしそうなところやなあ、京都はほんまにしずかどっせ、ほんまに」
 もう東京のせわしさにつかれたように小さい声でこんな事を云った。
「京都ではふだんでも日傘をさしてますか。あの紙でつくった」
「さしまっせ。私なんか御師匠はんとけいくにいつでもさしてますワ、模様をたんとかいてナ」
「貴女何ならってらっしゃるの」
「鼓と琴と茶の湯と花と」
「マア、そんなにならって一日の内にみんななさるの」
 私は自分にくらべて随分いろんな事をするもんだと思ったんでこんな事をきいた。
「そうやなも、気の向かんときは行かんけど……」
「皆すきなものばっかりなの」
「すききらい云うて云わねんと母さんが云いやはるさかえ」
 御仙さんと私はこんな事を云って居た。段々夕方の暗さが深くなって来て部屋に電気がついた時、
「家にかえりとうなってしもうた」
 やんちゃのようなはな声で御仙さんはこんな事を云って私の方に身をすりよせて来た。
「何《ど》うして?」
「何んやらこわらしゅうて」
 子供のようなことを云う人だと思いながら私は手をそっと御もちゃにしながら、
「そいじゃ、あっちに行きましょう皆の居るところへネ」
 私は仙さんの手をひいてうすくらい廊下をつたわって茶の間に行った。御せんさんはそこをあるくんでもすりあしをしてあるいた。
「あんた夜電燈もたずにおあるきやはるの?」
「うちんなかを」
「エエ、私なんかどけいこにもぼんぼりもって行きまっせ」
「マア、随分、御つぼちゃんだ事」
 私はこんな事を云いながら大きな笑で笑った。御仙さんもかるくはにかんだように笑いながら私の手にしっかりつかまってすかすようにしてあるいて居る。
「おせわさまどした」
 おまきさんは煙草をつめながら障子をあけた私達のかおを見て云った。
 それから四人丸く坐って祇園のまつりのはなしや、加茂の夕涼やまだ見た事のない京都の様子を御まきさんにはなしてもらった。
 その間御せんさんはおっかさんの体にもたれかかってその眉のあたりを見ながらはなしをきいて居る。
 御はんの時も御せんさんは御つぼ口をしてたべた。
 御まきさんはもうどんな時にも御仙さんが可愛くて可愛くてたまらないと云うように見えるし又御仙さんも御母さんがよくってよくってたまらないと云うようなかおつきや口つきをして居た。
 御はんがすんでから、わきを向いて御仙さんはふところから懐中かがみを出して一寸紅を唇にさしなおして小さいはけで口のまわりをはたいたりして居た。
 私は世間の事も知らずほんとうにややさんのような人のくせにどうしてああ身のまわりの事には気をつけるんだろうと妙に思われた。そしてまだ一度も紅をさした事のない唇をそっとしめした。
 間もなく御仙さんが帰ろうと云い出して御まきさんも、
「えらい御やかましゅう。牛込の姉はんのとこに居まっさかえ、貴方も御いでやす。まってまっせ」
 中腰をしてこんなことを云いはじめた。
「マア、ようござんしょう、も一寸いらっしゃいよ。まだ早いじゃあありませんか」
 御仙さんは母の斯う云うのをきいて心もとなそうに御まきさんの袖をひっぱって居る。
「せっかくどすけど……ここなややさんがききませんさかえ。
 ナア、そうやろ、ほんまに大きに御邪魔、御めんやす」
 御まきさんは御仙さんに御辞ぎをさせてそそくさと玄関に行ってしまった、
「西の人はゆっくりだってのにあなたは随分せっかちだ事」
 母はこんな事を云いながら送った、私も御仙さんのふんだ足あとをボカすようにしてあるいた。
「あすは歌舞伎や」
 御仙さんが車にのる時チョッとこんな事を云った。
「さようなら、御仙さん、近い内」
 私が斯う云った時車の上の御仙さんは、
「上りまっせ、こんどは人形はんか何かもってなも」
 こんな事を云った。私と母は、かおを見合せて笑んだ。
「御めんやす」
 御まきさんが斯う云うと車は段々くらい方に入ってしまった。
「京都で育った娘なんて随分ぼんやりなもんだ事、けれども御化粧だけは随分気がつくもんだ事」
「厚い御化粧で長い袂と着物であんなあたまで御かざりにはいいけれど」
 母と二人でこんな事を云いあった。
 御仙さんの云ったことばやそぶりなんかでいつまでも忘られないほどのとこは一つもなかった。ただいつまでもあの唇の紅と千鳥むすびと花ぐしとすり足ばかりが目の前にちらついて居た。



底本:「宮本百合子全集 第二十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年11月25日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第6刷発行
※底本では会話文の多くが1字下げで組まれていますが、注記は省略しました。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2009年8月9日作成
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