「きっぱりせんが、マア一俵がとこじゃろ」
「…………」
 祖父さんは、やがて伏目になり、艶のない貧相な白髯を片手でしごいて、咳払いをした。それでもみんな黙っている。祖父さんは半ば工合わるそうに半ば当てつけらしく、立って仏壇の方へ行った。チーン。鉦《かね》をならしている。
 たけをはその音をきくと腹立たしい気になって、
「ほんまに出さんならんのやろか……」と云った。
「ふーむ」
 この山陰の地方は昔から南無阿彌陀仏が盛で、家の格式や財産を仏壇の大きさではかる習慣がある。仏壇の世話は大抵男がやった。税で動けぬ上に寺へ年一二包ずつ戸数割で米だの綿その他を納めなければならない。この節の暮しになっても、戸数割は元と同じだし、どの年よりも「仏壇さんを売らんうちは」と、見栄をはりあっているのであった。岩太郎の身になると、安井とこでは年よりに寺まいりもようさせんようになったと云われるのが口惜しくて、無理に無理をしている。
 たけをは自分が一日十五時間も人いきれの裡に精根をつかって立ちとおし、脚の甲までむくませ、髪のつやさえないようにして僅かの金でもとって来るようになってから、寺が勢力をもって自分らの生活からあれこれとかすめるのがだんだんいやになった。寺への納めものときくと、むざむざ手のひらを剥いでゆかれるような心持がする。
「寺ときくと、あの大遠忌《だいおんき》思い出してぞっとするわ」
「ほんになア……、あのときはえらかった」
 永平寺の大遠忌のとき、だるまや百貨店では一日十万人の客が入ったといわれた。客の中で上気《のぼ》せて倒れた者も出たが、それがすむと病気になってやめた女店員がたけをの玩具部だけで三四人あった。
 父親の岩太郎は、あぐらをかいた拇指にはさんで繩をなっていたが、
「この秋の大演習に天皇さんのお宿は永平寺じゃそうだ。――あこには天皇さんの長寿祈願の位牌がかざったるそうな」
 たけをは冷淡に、
「ふーん」
と答えた。
「……津田もあの黒子《ほくろ》が曲者《くせもの》じゃ」
 繩をよっている掌に唾をして岩太郎がぼそっとつづけた。
「あれも豊田にとり入って県庁跡の土地をせしめてからグンと芽をふきよったなあ。……だるまやのケツは谷中がうずめとるそうじゃなあ」
 だるまや百貨店の表面上の店主は元教員あがりの津田信一だが、資本は市会議長谷中三太郎が出したということになってい
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