それらの国々でも
――新しい国際性を求めて――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)文芸復興《ルネッサンス》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)日本らしい[#「日本らしい」に傍点]感情のかげが沈んでいるか
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 わたしたちの生活の間で、国際的という言葉はこれまでどんな工合に使われて来ているだろうか。
 日常の言葉として、国際的という表現をあまりつかわない人たちでも、スポーツの場合はごくすらりと、世界記録というつかみかたで、国際的な水準なり、ある程度その感覚なりを身につけて来ている。
 この節では国際結婚という言葉も日用語に近くなった。モードについて書かれている記事の中に、ロマネスクは目下モードにおける国際的傾向であると書かれているとき、むずかしい言葉でかいてあるわ、と批難する娘さんたちはいない。日本の娘のおどろくような順応性で、国際的モードといえば、世界中どこでもという意味を理解して、自分もそれにおくれまいと願う。
 国際的という表現は、どんな素朴な心にでも、それは自分の国の内ばかりでなく、よその国々の内においても、という内容で理解されている。キュリー夫人は、その意味で国際的な科学者であったし、日本にも音楽や映画女優で国際的なひろがりをもつひとの出て来ていることは知られている。そして、このごろのように幾年ぶりかで国の内外の往来が恢復しはじめると、ユネスコの問題にしろ国際的だし、アメリカへの留学生の出発も国際的な一つのできごとだし、織姫渡米も国際的な現象の一つとなった。
 それにつけても、わたしたち日本の婦人は、これまでどんな国際的な関係のなかにおかれ、どんな国際性を自分たちのものとして生きて来ただろうか。第一の特徴は、わたしたち日本の女性の生活が、十数年間、絶えずつよまる日本のファシズムとその権力が計画した戦争の下におかれて来たということである。
 一九三一年の後半期、張作霖を爆死させて満州への侵略がはじまってから一九四五年八月十五日まで、日本の人民生活の物も心もぼろぼろになり果るまで、わたしたちは十四年間の戦争にさらされた。戦争は現代の資本主義の国々が互にもっている利害の矛盾や、その国の内にもっている社会機構の矛盾の総合的なあらわれである。だから、戦争という大惨事が発生すれば必ずその半面には、国際間の戦わざる面――平和の要素の強い発動がおこって来る。これは、人類の自然だと思う。どんな人でも、病気がおこればそれを癒し、且つ二度とそんな病気にかからないようにしようとするにきまっているのだから。
 ヨーロッパの国々は、互に国境を地つづきの山や河、森の間にとなりあわせ、互の国語に共通な語源をもち、今日までの歴史のなかではヨーロッパのどの国もとなりの国におこる事件に対して、無関係ではあり得なかった。したがって、第一次大戦の前後も、このたびの第二次大戦のような大規模な殺戮と破壊の間でも、ヨーロッパの真面目な精神の人々の間には戦争の悲惨から人間性を守ろうとする熱心な行動がとられた。
 一九一四年の時代にヨーロッパ各国の資本主義的な経済が、それ以上拡大するためには、これまでよりもっと生産資源と生産品をさばく市場をひろげなければならないという互の利害の衝突から、第一次大戦がおこった。この現実の理由をはっきり理解することの出来た各国の人々は、自分たちの国の支配権力は戦争しつつあり、そのために互が動員されながらも、一方ではっきりと戦争が人類の不幸であり、野蛮の証拠であり、それは一刻も早く、そして徹底的に人類生活から根絶されなければならないことを主張した。そして、戦っている国と国との中の人間らしい勇気をもった知識人、勤労者たちは、その主張を表明した。戦争を欲するものの国際的連帯があるならば、その不幸を防ごうとするものの国際的な協力も当然生じて、第一次ヨーロッパ大戦は、はじめて、世界的に平和主義者の団結を与えた。フランスのロマン・ローランをはじめ多くの人類平和を守ろうとする人々はドイツのトマス・マンその他の平和を愛する人々と一つ方向にむすばれたし、オーストリアのすぐれた作家ルドウィッヒ・レーン(「戦争」の作家)「マリ・アントアネット」その他の伝記で日本の女性にもしたしまれている作家ステファン・ツワイグなどは、ドイツのレマルク(「西部戦線異状なし」の作家)フランスのアンリ・バルビュス(「クラルテ」の作者)マルチネ(「夜」の作者)アメリカのドライサア、アプトン・シンクレア、ルイスその他の作家たちと共に心から平和を欲し、戦争の原因を究明しその社会的原因をそれぞれの国においてより少くし、またはとりのぞくことで、戦争の惨禍を人類からなくしようという情熱で結び合わされた。遠いインドで行われているガンジーの無抵抗の抵抗が、インド人民の解放のためにどんな意味をもっているかということがヨーロッパの精神特にロマン・ローランによって深く考えられ評価されたのもこの時期であった。
 四年間の第一次ヨーロッパ大戦を経てゆくうちに世界は大きい犠牲によって多くのことを学び、よりひろい人類の協力が必要であるとする感覚と理性的なその実現の方法とを発見した。その結果が、第一次大戦の根本原因であったそれぞれの国の資本主義による生産事情・社会機構の矛盾の調節という現実問題に帰着して、一九一七・一八年に、多くの国々で古い権力の形がくずれた。ロシアのツァーリズムの絶対主義政治、ドイツのカイゼルの軍国主義政治その他中欧諸国で皇国とか、国王とかは、急速により民主的な権力に交替した。その中で社会生産のしくみまでを進歩させて、より人民の多数の生活向上の目的に沿う可能性がますような社会主義的な生産方法に変化させることの出来たのは様々の条件からロシアだけであった。他の多くのところでは、きょうわたしどもが、日本の明治時代に資本主義に立つ民主主義は完成されなかった、と理解しはじめているその資本主義に立つ民主的な政治の形がもたれたのであった。
 フランスのジュール・ロマンが第二次ヨーロッパ大戦のはじまったばかりの頃書いた『ヨーロッパの七つの謎』という一冊の小さい本が、日本語にも翻訳されている。それには、第一次ヨーロッパ大戦の後、もう二度と世界に悲惨事をまきおこすまいと希望する各国の人々が、ヨーロッパ各国の間でどんなに手をつなぎ合い、平和の継続に努力し、しかもその努力がどういう力で破られたかという悲劇をまざまざと描き出している。この頃は毎日新聞にチャーチルの第二次大戦の回想録が出ている。それにもうかがわれるとおり一九一八年に敗戦国となったドイツの人民はカイゼルの軍国主義政治、植民地をひろげようとする侵略政策をやめて、当時発達していたドイツの科学と工業の実力で平和で人民的な生産様式をもつ国――社会主義の要素の多い社会に前進しようと欲した。しかし、同じ戦敗のドイツの中でも、そしてあの世界史的なドイツのインフレーションの中でも、第一次大戦によって軍需成金となった新興財閥は存在した。それら一握りの新マーク階級の人々は彼等の特権にとって有利でない人民的な生産様式にドイツの社会が進化してゆくことをのぞまなかった。その特権ある惨酷な人々の利害に、そうとはしらずに結びつけられたのが、同情すべきドイツの人々の祖国愛の感情であった。敗けてくやしいと思う年よりの感情、せめて勝ったのならばと、自分の良人や息子を死なせた悲しさのやりばのない女性の思い。けんかは両成敗なはずだのに、と軍国主義という社会悪をひとてに負わされて不満な人々のこころもち。当時のドイツにみちていた男女のあらゆる種類の不満と悲しみを、武装解除させられたドイツの軍人たちの傷けられた名誉心と結合させ、ドイツ民族の名誉恢復、復讐の期待というものを、不幸なドイツの人々の心にしみこませて行ったのが、第一次大戦のときに生れたドイツの軍需成金、科学・工業・鉱業界の親玉たちであった。そこへこの舞台にとって最もふさわしい野心と賢さと狂気とをもったヒットラーというオーストリアの軍曹がナチスという政党をひきいて現れた。地方的な小政党であったナチスを一九三三年の選挙で第一党にした背後の力は、国内では軍需生産企業の親玉たちと保守的な国家主義者・軍人・地主たち、判断にまよった小市民層の人々であり、国外においてはナチスに投資した外国の資本家たちであった。小さかったナチスがそういう支援・投資を得て怪物的な成長をとげ世界を攪乱しはじめて一九三八年以来、世界平和のため、自分たちの人民生活・国家の存在の擁護のために自分の息子たち孫たちを前線に送らなければならなくなったのは、ほかならぬかつてのナチスへの投資者たちであった。第一次大戦のあとのヨーロッパ社会が急テムポで社会主義的に進んでゆくことに危惧を感じ、その防壁としてドイツのナチスを支援し、成長を助けることが得策であるとした国外の人々は、間違えてふたをあけた壺からあばれ出した暴力を、民主的な理性と良心とによって粉砕するまでに、七年の歳月と、一五〇〇万人の軍人と、その幾層倍かにあたる一般市民の生命と天文学の数字のように莫大な費用を費さなければならなかった。
 このヨーロッパの資本主義の国々が未来の安全を計るためにとった手段の誤りから国際的痙攣に陥っているすきに乗じて、日本のファシストたちはアジアにおけるファシズムの勝利、資源と市場の独占者になろうとした。われわれの家庭から前線におくられて死んだ一〇五万の軍人たち。空襲その他で死んだ三三万余の市民男女。そして今日生活の荒波にもまれている八〇〇余万の戦災者。夥しい引揚者と復員者。六〇万人以上の未亡人と一二万人の孤児と六〇万の戦争による不具者とが生じたのであった。
 第二次世界大戦の間じゅう、他の諸国ではその恐しい戦争の底を縫って、国際的な友交が保たれていた。ナチス占領下のフランスで、フランス人民の自由と文化を守ろうとした人々は、反ナチス、ユダヤ人とさえ見れば虐殺したナチス暴圧下のドイツの中でなおひそかに人類の正義と人権のためにたたかっている人々との交流があった。フランス婦人の間に組織された大学卒業生の団体は、ナチスに占領されたフランスにおいて民主国の兵士を保護し、その人々を虐殺から救い国外に逃亡させてやるために大規模に活動した。ナチスに追われアメリカにいた各国の芸術家たちは、平和とファシズムに反対のためにたたかっていた。第一次大戦から二十五年を経ておこった第二次大戦の惨苦の底には、前にもまして強い平和への意志が流動している。人類の社会が発展するためには資本主義の仕組みから人民的な民主主義の方向をとらなければならないということがよりひろく常識のうちに肯定されて来ているのである。こうして、人間の歴史は最も高価な実験費をかけて、より理性的に、より叡智的に組織され、人間の幸福を支えるに足る社会をつくり出してゆこうと努力している。
 世界のこういう現実を、わたしたちが経験した戦争の十数年間、最悪の数年間と思いくらべたとき、わたしたちの胸にどういう感想が湧くだろう。古い軍歌に「四面海もてかこまれし」とうたわれた日本は、東も西も大陸からきりはなれていて、弦をはったような狭い日本はファシズムと治安維持法ですき間もなくふさがれていた。大新聞の国際報道さえ制限され、外国の本の輸入は禁じられ、国際的な統計はもとより国内事情の実際を知る統計は禁止された。敵性の言葉という理由で中等学校の正課から、英語がとりのぞかれ、レコードは音盤とよばれ、イギリスやアメリカの音楽はレコードできいてもいけなかった。世界の声のきける短波のラジオは使用禁止され、ラジオは軍部、情報局のさしずどおり、一九四五年八月のあと、大部分が虚偽であったとわかった大本営発表を叫びつづけていた。母子の愛情、夫婦や愛人同士の愛や希望や計画などは、ほんとに口に出すことの許されない感情のように扱われた。政府は、文科系統の学生だけを前線に送った。理科系統は軍需生産に利用できるからのこした。女子の動員に
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