者と復員者。六〇万人以上の未亡人と一二万人の孤児と六〇万の戦争による不具者とが生じたのであった。
 第二次世界大戦の間じゅう、他の諸国ではその恐しい戦争の底を縫って、国際的な友交が保たれていた。ナチス占領下のフランスで、フランス人民の自由と文化を守ろうとした人々は、反ナチス、ユダヤ人とさえ見れば虐殺したナチス暴圧下のドイツの中でなおひそかに人類の正義と人権のためにたたかっている人々との交流があった。フランス婦人の間に組織された大学卒業生の団体は、ナチスに占領されたフランスにおいて民主国の兵士を保護し、その人々を虐殺から救い国外に逃亡させてやるために大規模に活動した。ナチスに追われアメリカにいた各国の芸術家たちは、平和とファシズムに反対のためにたたかっていた。第一次大戦から二十五年を経ておこった第二次大戦の惨苦の底には、前にもまして強い平和への意志が流動している。人類の社会が発展するためには資本主義の仕組みから人民的な民主主義の方向をとらなければならないということがよりひろく常識のうちに肯定されて来ているのである。こうして、人間の歴史は最も高価な実験費をかけて、より理性的に、より叡智的に組織され、人間の幸福を支えるに足る社会をつくり出してゆこうと努力している。
 世界のこういう現実を、わたしたちが経験した戦争の十数年間、最悪の数年間と思いくらべたとき、わたしたちの胸にどういう感想が湧くだろう。古い軍歌に「四面海もてかこまれし」とうたわれた日本は、東も西も大陸からきりはなれていて、弦をはったような狭い日本はファシズムと治安維持法ですき間もなくふさがれていた。大新聞の国際報道さえ制限され、外国の本の輸入は禁じられ、国際的な統計はもとより国内事情の実際を知る統計は禁止された。敵性の言葉という理由で中等学校の正課から、英語がとりのぞかれ、レコードは音盤とよばれ、イギリスやアメリカの音楽はレコードできいてもいけなかった。世界の声のきける短波のラジオは使用禁止され、ラジオは軍部、情報局のさしずどおり、一九四五年八月のあと、大部分が虚偽であったとわかった大本営発表を叫びつづけていた。母子の愛情、夫婦や愛人同士の愛や希望や計画などは、ほんとに口に出すことの許されない感情のように扱われた。政府は、文科系統の学生だけを前線に送った。理科系統は軍需生産に利用できるからのこした。女子の動員についてはどんなに若い女性のロマンティックな英雄心を刺戟しただろう。日本の人民は細長い島の国の上で、全く世界から遮断され、すきなままに追い立てられた。超国家主義の合言葉の下に、世界といえば日本のほかにナチス・ドイツとファシスト・イタリーしか存在しないように。――ラジオの子供の時間が、ドイツとイタリーは日本の親類ですと放送していた、あの女の声、あの男の声をわたしは忘れることができない。
 ポツダム宣言の受諾によって、日本の侵略戦争の本質が示され、民主主義の方向をとるといっても、日本の多数の人々が、呆然としているばかりだったのは無理なかった。海もてかこまれし島の住民は、自分たちの運命を破壊しているのがファシストであり、狩りたてられて心にもない惨虐を行い、母よ許し給え、神よ許し給えと手帳にかきのこして若者が死んで行った戦争が侵略戦争であるということさえしらされていなかった。いってみれば、そんなことを知るすべがなかった。国際社会の現実を語るすべての思想と言葉は禁止され、そういう人は治安維持法で投獄させられた。
 日本の民主化がいわれはじめてから、人間性の尊重が見直され、それにつれてヨーロッパの近代の夜明けである文芸復興《ルネッサンス》が語られるようになった。けれども、聰明な読者よ。あなたの手許にある歴史年表は何を示しているだろう。十四・五世紀、ルネッサンスの花がイタリーを中心としてヨーロッパに咲き乱れレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、シェイクスピアと人類の才能が開花したときの日本は、戦国時代だったことをはっきりと理解しなくてはならない。日本はもう鎖国していた。それから、三世紀に亙る徳川の封建時代。半分チョン髷の心理がのこっている明治。ひきつづききょうまでわたしたちの国際的な感覚は不運な歴史のつづきである。
 日本が地理的に大陸からはなれていて、人民の経済能力が低いことは、ヨーロッパの学生や勤人が休暇旅行に隣りの国の親戚や友人を訪問しあう手軽さを許さない。旅費の関係からだけでも、これまでの日本で外国生活を経験している人の種類は多く中流以上の階層だった。その事実は、きょうでもまだ日本の一般人の国際的な動きを制約している。そのために、今日外国を見て来るほんの少数の人は、何とはなし特別なもの知りのように思われ、それぞれの職域で一種の権威者のようになりがちである。しかもその職域
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