リで生活して、日本へかえるとすぐ頭を丸刈りにされて侵略戦争にうちこまれた人の心と体の経験には、どんな深い裂けめが開かれたことだろう。その裂けめから彼の人間性に反射するのは何の思いであろうか。それに似た思いの若い女性のあることも現実である。
 わたしたちが普通国際的と云っている言葉の奥に、どんな特殊な日本らしい[#「日本らしい」に傍点]感情のかげが沈んでいるかということも考えてみていいことだと思う。日本で国際的というとき、何よりつよい感情は世界の仲間入りという感情である。この感情が普遍的だということは、ラジオが一九四七年度のハイライトで水泳の古橋選手を紹介するとき、アナウンサーは古橋選手のレコードで日本もやっと国際的な一つの窓をあけられたように明るくなった、と語った。日本の国際感覚には、後進国らしくそして封建くさく、仲間入りさせて貰える、仲間入りするようになった、という要素が案外につよい。対等につき合うことは既定の事実で、それからさき、どうつき合うかが問題であるヨーロッパの国際性とはちがった気分が流れている。これを逆にして、アジアに向うと明治以来の日本は、女性さえも中国・朝鮮に対して侵略以外に知っていない。日本の婦人作家の書いたどんな中国の人民生活の文学があるだろう。パール・バックの作品の程度のものさえもない。アリス・ホバードのように中国における外国資本主義の活動の跡づけもない。その人々が個人としてどんなに聰明でも、侵略者の位置にたったとき、真実はその人からかくされる。
 日本に世界の平和と人類の幸福を願う国際組織がなかったわけではなかった。たとえば国際ペンクラブは、第二次世界大戦のはじまる少し前、ファシズムに対して世界の人民の自由と文化の自由を衛ろうとする大会を開いた。日本からは島崎藤村夫妻が出席した。日本の代表的文学者である藤村が、世界平和とファシズムに反対するためのさまざまの意見を求められたとき、わたくしにはわかりません、存じませんでおしとおしたことは、先頃の朝日新聞にもかかれていた。それから日本のペンクラブは国際連帯からぬけ、日本ペンクラブとなった。
 ハリウッドに開かれるMRA(モーラル・リアーマメント)の大会に日本代表として尾崎咢堂の令嬢夫妻や三井一門の一家族が出発するときいて、わたしたちはおどろきを感じなかったろうか。デンマークでMRAはナチ占領下で平和
前へ 次へ
全10ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング