日放送されたラジオニュースは、竹内被告の言葉から共産党の煽動によるものでもなくというところを削除していた。
公判第一日からきわめて受動的な立場にあった検事団は、第四回公判(十一月二十五日)のこの日一つの計画的な態度をもって出廷した。川口検事が立って、(一)検察側はだんじて拷問、人権蹂躙を行っていない。(二)虚構誇大、事実をまげて検事裁判官、裁判所を誹謗し、演説会で宣伝する。これは侮辱、名誉毀損、恐喝、恐迫等の犯罪を構成する。適当な機会に断固たる処置をとりたい。(三)数十名の弁護人ならびに三分の二の傍聴人により法廷を制圧している等の諸点をあげて示威した。
裁判長「法廷を制圧しているとはどんな意味か。」
川口検事「多数を占めているとの意味です。」
裁判長「制圧しているとは不穏当であるからとり消されたい。」
川口検事「不穏当と認められるならば取り消します。」
ところが、午後の法廷がひらかれると、この日も思いがけない事態が発生した。被告につづいて各主任弁護人の陳述に入ったとき、竹内被告の主任弁護人は誰かという問題が起ってきた。竹内被告が裁判長の問いに答えていったことばは次のようであった。「私が一人で犯行をやったと平山検事に述べたが、神崎検事になってから共同だろうとせめたてられ、共同と主張してしまった。その上神崎検事からは、自由法曹団を相手にまわしていくらでも闘ってくれる弁護人がいるといわれ、前に頼んだ今野、小沢両弁護人さんたちに会わせる顔がなくて解任届を出した。今でも今野、小沢両弁護人に頼みたい。」と。
これから数十回継続されてゆく立証段階で、よび出される百二、三十人の証人と、林弁護人の弁論中にあらわにされた検事団の偽証罪をかざした証人操作法とは、どのようにからみ合い、どのような情景を法廷にくりひろげてゆくだろうか。世論が公正に監視をつづけなければならないかなめ[#「かなめ」に傍点]は、これからほぐされて来る。
ドレフュス事件をいうとき、ゾラがそれにかかわって闘ったことを侮蔑的に見る人はない。アナトール・フランスの思想の発展のモメントが、この事件に連関していることを、近代フランス文学は少くともきまりわるがってはいない。そのドレフュス事件にしても、現に新聞があることやないことをかきたて一般の反感を挑撥していた当時は、セザンヌが、そんなことに首をつっこんでいるゾラ、と罵ったように、フランスでのごみっぽい野暮な事件の一つであったのだ。[#地付き]〔一九五〇年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「人間」
1950(昭和25)年新年号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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